流体シミュレーションは、流体の支配方程式を数値的に解くことにより行われます。流体の支配方程式は、質量保存を表現する連続条件と運動量保存を表現する運動方程式より成り立ちます。3次元ユークリッド空間では、運動は3方向それぞれの運動量保存を表す必要のため、方向別に3つ存在します。流体シミュレーションでは、この合計4つの支配方程式を、与えられた境界条件および初期条件のもと数値的に解いて行われます。運動方程式は非線形の性質を持ち、数学的には4つの偏微分方程式の連成解を求めることになります。数学的には、この4つの連立方程式と一連の境界条件および初期条件で、解が存在しかつ解が一意に決まる条件、すなわち解が一意に存在する境界条件と初期条件の満たすべき制約条件すなわち必要十分条件は、未解決だと承知しています。筆者が約半世紀前に、非圧縮粘性流れの数値解法に取り組んだ際にこのことは、繰り返し先輩研究者から聞かされており、流れの支配方程式の数値解析法により得られた数値解が、唯一のもので、他に同じく支配方程式を満たす解がないか否かは不明だと強調されました。
数学上の未解決問題(unsolved problems in mathematics)、すなわち「未だ証明が得られていない命題」は、無数にあるそうで、数学研究者の活躍の場が数多く残されているようです。その中に、ミレニアム懸賞問題(millennium prize problems)というものがあります。ご存じの方も多いかもしれませんが、アメリカのクレイ数学研究所によって、2000年に発表された100万ドルの懸賞金がかけられている7つの問題があります。そのうちの1つは、位相幾何学におけるポアンカレ予想(Poincaré Conjecture)で、ロシア出身の数学者のグリゴリー・ペレルマンにより、2003年に解決されたということです。彼は、2006年に数学者の至高の栄誉と言われているフィールズ賞の受賞を辞退し、2010年の100万ドルのミレニアム賞受賞も辞退したことでも有名です。筆者もミレニアム懸賞問題が解かれたという世界のニュースを度々TVなどで見聞きした記憶があります。残りのミレニアム懸賞問題は、本稿作成時点で解決したというニュースは知りません。このミレニアム懸賞問題の一つが、ナビエ–ストークス方程式(Navier–Stokes Equation)の解の存在の問題です。
ただ、流れの基礎方程式の解は初等関数で表現できないかもしれませんが、数値的に解かれた解が、流れの基礎方程式を近似的に満たすことは、保証されます。重み付き残差法など様々な数値解法は、得られる数値解が、支配方程式を近似的に満たすこと、空間や時間の分解能を向上させれば、させるほど数値解の精度が向上することを保証します。その意味で、筆者の先輩研究者による「流れの支配方程式の数値解析結果に関する不安の強制」は、初学者に対する一種の脅し、いじめであったと思ったりします。
「流れの支配方程式の数値解に対する不安」は、数値計算により求められた結果と実現象とを比較することである程度、解消します。もう半世紀も前になりますが、流れの数値計算手法の開発研究の多くは、数値解が、実現象に確かに対応するという検証に費やされました。検証には2段階あります。まずは理論解のある流れを対象とすることが一般的でしょう。理論解は、流れの基礎方程式において、何らかの仮定(その多くは、基礎方程式において勾配項等がゼロで、無視できること)を利用して、導き出されたものです。工学的には直ちに実用にはならない検証であったかもしれません。この検証は、流れの数値解析ソフトをブラックボックスとして利用しているユーザーや流れの数値解析を利用する技術者が、実際に行ってみると良いと思います。そうした流れは、単純な境界条件であることが多いので、検証することは比較的簡単かもしれません。流れの数値解析ソフトを利用する人には、ソフトの使い方に慣れるためにも必須な勉強になります。
理論解があるものは、そんなに多くありません。すぐに思いつくのは、非線形項である移流項の勾配ゼロとなる非圧縮粘性流れである並行平板流間に生じるクエット流れ(Couette flow)や、軸対象流れとなる円管流に生じるハーゲン・ポアズイユ流れ(Hagen–Poiseuille flow)程度です。これらの流れは、非線形項の寄与がないので、非圧縮粘性流れの数値解検証用流れとしては物足りない気がします。しかし、流れの数値解析ソフトの利用者が、この流れを再現できなければ、入り口で失格ということになるので、重要な勉強のステップになるかと思います。理論解がある流れには、2次元の非粘性流、完全流体もしくは理想流体と呼ばれる流れがあります。これはかなり複雑な形状の境界条件でも解析解を求めることができるのです。複素関数論の数学的知識が必要になることもあり、初学者には敷居が高いかもしれません。これも流れの数値解の検証には使えそうです。ただし注意が必要です。非圧縮粘性流体を解くことを意図した流体解析コードで、粘性係数をゼロにして数値解を求めることは、数値解析のアルゴリズムにもよりますが、往々にして困難であり、無駄な検証になることもあり得ます。数値解が得られなくて無駄な検証になるかもしれませんが、まあ一応、完全流体の解析解をどの程度、再現できるかは、一つ検討する価値があるかもしれません。流れの基礎方程式であるナビエ–ストークス方程式(Navier–Stokes equations)をそのまま数値的に解く方法(数十年前は、流れのプリミティブ方程式を直接解析する方法と称していました)によっている流れの数値計算ソフトの多くは、圧力や速度などの従属関数が連続であることを前提とします。そのため非粘性流体ではあたり前に課している特異点や速度や圧力などの従属関数に非連続が生じる流れに対して、数値解法に何らかの安定化手法、多くは人工的な数値粘性の導入による安定化手法(得られる数値解の従属関数に連続の条件を満たすことを課すと言って良いかもしれません)の結果として、速度や圧力が滑らかに変化する解が得られるのではないかと思われます。その効果を完全流体の解析解と粘性をゼロとする非圧縮粘性流体の数値解との比較で知ることはできるかもしれません。
おまけにもう一言付け加えます。非圧縮粘性流れに、温度や化学種などの輸送方程式を連成させて、空間内の温度や化学物質の分布性状を検討することが、多くの実用的な流れの解析を行う場合に良く行われると思います。この場合、温度や化学種の空間内の分布は、速度や圧力と同様に関数の連続の条件を満たすことを前提として数値解を求めます。境界条件などが連続の条件を満たさない場合は、数値解法としては極めて厳しい条件(連続な解の存在を否定する条件)での数値計算になりますので、得られる数値解に空間的な振動や、様々な実現象では生じない現象が生じてしまうことは自明と心得たいものです。境界条件のモデリングの問題になりますが、温度や化学種などの輸送方程式の境界条件として、そうした従属関数の連続の条件を満たさない条件を平気で課すことは、一般的なように思われます(数値解析ソフトの開発者は、こうした無神経な境界条件を課して数値解が得られないユーザーのクレームに辟易として、必要以上に数値計算の安定化手法を導入しているようです。一種の麻薬ですネ)。
工学的に重要な流れの多くは、3次元的の流れ現象です(あらゆる方向に、速度や圧力の勾配が存在し、流れの基礎方程式のすべての項が寄与する流れです)。しかも不規則な乱れを持つ乱流であることが多いようです。この乱流状態にある流れは工学的な経験則から導かれる平均流速や平均圧力に関する関係式(実験式)がありますが、支配方程式とその境界条件から導き出される解析解のようなものはありません。もちろん境界条件によっては経験則に基づく工学式(実験式)をお手本にして、数値解との対応を検討することは可能です。意味のあることと思います。しかし流れの境界条件が複雑になるとこうした比較も、当てはまる工学式(実験式)がなくなってしまい、難しくなります。つまるところ、解析が必要とされる流れ場の代表的な流れを対象に、実験などで流れを実際に計測し、その測定結果と数値解の対応から数値解の信頼性を確認することになります。筆者も、この実験データと数値解の対応の検証に多くの時間を費やしました。過去も現在もあまり変わらない気もしますが、個別性の高い3次元の複雑な乱流現象に関し、数値解の検証に使えるような測定データはあまりありません。筆者は3次元の乱れた流れの数値解の開発を手掛けた研究者の一人と自負していますが、多くの時間は、流れの実験データを得ることに費やした気がします。建築室内に関わる流れを主な対象としましたので、基礎的な検討は3次元のキャビティ内の流れを対象としていました。
3次元キャビティ内の乱流には様々な境界条件が考えられます。6面体形状のキャビティの1面が開放されて外部の流れに接する流れは、特に思い出があります。この流れの具体的な実務としては、地面に四角形状の穴が掘られ、上部が屋外に開放されたいわば「空堀」内の空気の流れ性状です。建設系の実務では工事現場や地下室を居室として使用する場合によく見かけます。この空堀内の気流は、地面に沿って流れる風との間で生じる風速勾配、せん断流により駆動されます。せん断流には不規則な渦放出があり、この渦により空堀内の空気と外部との間で空気の交換(換気)が生じます。都市の過密化による有効利用のため、以前は地下室を居室として利用するには機械換気などを導入しない限り、許されていませんでしたが、空堀に面した室内はそうした設備を備えなくても、居室としての利用を認めるようになりました。この空堀に面する地下室が地上で屋外に接する居室と同等もしくはそれほど劣らない空気環境であるためには、空堀内の空気も地上の屋外空気と同程度の環境であることが必要とされます。このためには空堀内の空気がどの程度、上空の空気と空気交換されるか、あるいは、どの程度の大きさの空堀にすれば最低限の環境が保証されるかを、検討しなければなりませんでした。検討は、実験や流れの数値解により行います。計測は、風洞実験で行いました。風洞の床面に空堀に見立てた穴すなわちキャビティを設置し、その中の気流を計測するわけです。キャビティ内の複雑な乱流性状を計測しなければなりません。流れの数値解では、乱流モデルを導入した数値解が、キャビティ内の流れの計測と良く対応することが前提となります。数十年前の検討ですので、今はもう少し精度の高い計測や数値解が可能かもしれません。当時の計測結果に対応する数値解のバラツキは大きく、両者のバラツキは大甘の評価でかろうじて有効数字2桁に届くかしら・・といった程度の対応だったと記憶しています。3次元の複雑乱流の数値シミュレーションや実験による計測で、%オーダの対応を求めることは、実に難しいことです。注意して欲しいことは、計測にも絶対はありません。バラツキが生じます。実験結果を絶対視しないでください。計測結果にバラツキもしくは信頼区間の表示のない計測結果は、数値解の検証用計測として使用できません。
流れ、特に3次元の複雑乱流のシミュレーションを行う方は、筆者と同様、ご自分で、一度、実験による計測とシミュレーションの対応を検討して欲しいと、今も思います。謙虚さが必須です。