第八夜 何を見るのか

 第七夜に引き続き、「見えるもの」、「見えないもの」を考えてみたいと思います。前回は、見えるということは意識すること、 見ることを意識しないと見えるようにならないこと、について考えました。見るものを意識せず、ただボーと見ている人は、実際の 目には映っているにもかかわらずその人の脳の意味付けに関わる認知処理には引っかからず、見えていないのです。見えるようにな るには、意識付けの学習が必要になります。

 そこで本題の流れのシミュレーションに話を移しましょう。流れのシミュレーションは、コストがかかります。流れのプリミティ ブ方程式を直接、数値解析するシミュレーション方法が実用化されてすでに50年余も経ち、実用的な流れの解析がある程度、低コス トで実行できるようになりました。同じような解析を実験で行おうとすれば、数倍から数十倍のコストや時間がかかるはずです。 とはいえ、相応の解析を数ケースにわたって行おうとすれば、ザット自家用車一台分程度のコスト(軽乗用車から始まる幅広い価格 帯があるとは思いますが・・・)は必要です。以前、実用計算では有効桁が3桁程度は欲しいと述べましたが、3次元では解析空間の 空間解像点を10億点以上用意することが必要で、こうした解析を行い得るのはまだまだ一部の選ばれた技術者に限られるようです。 安くなったとはいえ、コストをかけて流れのシミュレーションを行うのであれば、それに見合う便益が得られなければなりません。

 流体シミュレーションに限らず、世の中にはアリバイ的な実験やシミュレーションを行われることが多々あります。学会などの 学術団体の中で行われる研究発表を、聞いてみると研究目的や研究における課題抽出が曖昧に行われている研究が多くあることに 驚かされると思います。善意に解釈すれば、研究発表する研究者の表現能力が不足しており、研究目的や課題抽出に関する他者へ の説明能力が不足しているということかも知れません。が、悪意に解釈すれば研究者としての自身の存在を証明するため、学会や 社会的関心のあるテーマを適当に選び出してアリバイ的に研究し、表面的な成果を報告しているように聞こえることがあります。 実験やシミュレーションは、結果としてきれいな分布図やもっともらしいベクトル図や説明図を示すことができ、そうしたテーマ に対してあまり専門家でない人々に対して、無言の資料として「我々は、これだけでのコストをかけて検討しており、我々の導き 出した結論に誤謬はないのです。」と訴えることができます。しかし、導き出した結論は、理論解析や経験則から十分に導きだす ことができるものであれば、結果として実験やシミュレーションは無駄なコストをかけて作成した、単なるアリバイのように見えます。

 「何を見たいのか」をあまり考えもせず行う計算機シミュレーションや実験は、多くの貴重な情報を含んでいても、シミュレー ションや実験を行う人に便益をもたらしません。結果を見ても、「見たいもの」ものが元々ないので、「見えない」のです。「見 たい」と思わなければ見えるようにはならないのです。高価なコストをかけて、流れのシミュレーションを行うのであれば、流れ のシミュレーションで、「何を見たいのか」を明確にし、「見たいもの」が「見えるよう」になるよう、シミュレーションの設計を行う必要があります。

 シミュレーションの計画を立てる際、「見たいもの」が何かをノートに書きだし、その「見たいもの」は、流れのどのような要 素に影響されるのかを、同じくノートに書きだす必要があります。この「見たいもの」は、ある程度、流れに関する専門的な知識 が必要かもしれません。ある地点あるいは定められた範囲内の情報か、時間平均あるいは空間平均か、平均に対するバラつきやピ ークかなど、流れの特徴量に対する情報か、あるいは流れが場所から場所にものを輸送する能力を知りたいのかなどになるのでし ょうか。更にはその他に、それら見たい情報に対し、流れ場の大きなスケールあるいは小さなスケールの形状変化、流れの中にあ る様々な障害物の形状や配置が「見たいもの」にどのような影響を与えるのか、などになるのでしょうか。前者の流れの特徴量に 対する「見たいもの」リストの作成は容易かもしれません。しかし、後者のその「見たいもの」に対する、様々な影響因子を予測し、 これをシミュレーションにどのように反映させるかは、流れ現象に関してある程度の経験を持ち、こうしたものの影響に関し、頭の 中あるいはノートブック、もしくは計算機情報としてのデータベースを備えた専門家、専門知識が必要です。

 「見たいもの」は、学習し、経験を積まないと「見える」ようにはならないのです。工学的な流れのシミュレーションは、50年の 時を経て深い専門意識を持たなくても、だれでも実行することができるようになりました。交通機関の発達で観光客が昔は人跡未踏 であった景勝地に行って美しい景色を鑑賞できるように、専門知識がなくても誰もが流れのシミュレーションを実行し、出力される 鮮やかに彩色された等値線やベクトル図を鑑賞できるようになりましたが、このシミュレーション結果から「見えるもの」を最大限 に「見る」ことができるようにするのは、専門知識を持つ限られた技術者に委ねられます。

 次回、第九夜は、「見たいもの」をシミュレーションで「見る」ために、どのようなことに注意するのかをさらに詳しく見てみたいと思います。