第六十六夜 海外渡航

 海外旅行がポピュラーになって久しいです。2020年からの新型コロナウィルスの世界的流行で海外旅行も国内旅行もバッタリと止まりましたが、最近は復活してきているようです。周辺を見聞きしても、日本人や近隣諸国の若者が、国内旅行と同じ感覚で、日帰りや短期旅行を楽しむことも、良く行われるようになったようです。筆者の最近の経験でも、最近、海外の大学院生とよもやま話をしたとき、結構マイナーな音楽バンドのコンサートが東京であり、チケット入手のめどがついたので、一泊2日のコンサート鑑賞のための海外旅行を準備していると聞いたことがあります。昔は海外渡航の場合、航空券の往復割引は現地に3日以上滞在しないと適用されないと聞いていましたが、今はそんなことも気にせず、短期の海外旅行ができるようになったのかもしれません。実際、国内旅行の飛行機代より、近隣の海外渡航の飛行機代が、安くなっていて、費用面での海外旅行の抵抗がほとんどなくなったのかもしれません。

 半世紀以前のことになりますが、日本政府は、ビジネスや留学などの研修などを目的とした海外渡航以外の海外渡航は厳しく制限していました。この時期、輸出などで得られる外貨収入に対して、輸入などで必要となる外貨支出が大きく、外貨不足による円の価値低下(インフレリスク)に脅えた日本政府にとって、海外渡航は外貨準備という観点から大きなリスクでしたので、これを減らす要因となる海外渡航の自由化は、難しかったのかもしれません。ちなみに、日本で初めてオリンピック(東京オリンピック)が開催された年、1964年の4月に行われた外為規制の緩和に伴う海外渡航の自由化の際も、日本人の海外渡航は「年1回、外貨持ち出し500ドルまで」の制限付きだったそうです。自由化の第1陣として企画されたハワイ7泊9日間の旅の旅行費は、現在2020年代とほとんど変わりませんが、36万円だったそうです。ただ、当時の賃金や物価は、現在2020年代に比べて、信じられないくらい安く、現在の物価換算で約1/10(日本では江戸の昔から米価で換算するのが一般的だそうです)程度であり、旅行代金36万円は、現在の400万円にもなるそうです。また、持ち出し可能な500ドルは、当時の為替レート、1ドル360円で、18万円となりますので現在の物価換算では180万円もの大金です。しかし、この外貨持ち出しは、海外での支払いは、物価上昇による換算の必要はありますが、当時の500ドルの価値に留まります。当時の海外渡航でのお土産は、免税店で購入する洋酒とたばこ、香水、スカーフと決まっていたそうです。1964年の時点でも海外渡航者は年10万人以上に昇ったそうですので、海外渡航者による外貨の持ち出しだけでも年5000万ドル、ホテルや交通費の海外送金も考えると年1億ドル以上の外貨支出になります。

 この時期、日本は1952年に世界銀行に加盟し、1953年から1967年までで総額8億6000万ドルの融資を受けて1961年完成の愛知用水などの治水・灌漑インフラや1964年完成の東海道新幹線、1965年全線開通の名神高速道路・1969年全線開通の東名高速道路など交通インフラの整備をしていましたが、日本人の海外渡航は、世界銀行から14年間の借入総額の1/8余りの外貨を僅か1年間で失うことになります。しかし、日本は加工貿易を国是としています。輸出振興は政府の大事な政策課題になっていました。1964年頃からの日本の自動車輸出は、年間10万台から倍々ゲーム(倍々ですよ)で伸び続け、1970年代初頭には100万台にもなっています。一台5000ドル程度の輸出価格とすると、海外渡航が自由化されたこの時期、10万台の自動車輸出だけで5億ドル程度、日本人の海外渡航に関わる外貨支出の5倍以上の外貨収入を得ていたわけで、自動車産業の発展が日本人の海外渡航の自由化を可能にした大きな要素だったのかもしれません。この海外渡航の自由化は、公式には1964年の日本のOECD加盟が契機ですが、造船や家電、そのほか日本の輸出を支えた様々な産業の輸出による外貨収入の成果であり、特に日本の自動車産業による外貨収入の貢献に対して、筆者などは恩義を感じて海外渡航をいたします。

 海外への渡航は、飛行機を利用するのが一般的と思います。筆者も海外旅行が一般化し、大量の日本人が海外旅行に出かけるようになったころ、観光や仕事で海外旅行する機会が増えました。今は、それほど感じませんが、初めて海外旅行した際や、その後十数年にわたって、国際便の飛行機の機内はとても寒くて往生しました。今でも機内では、ブランケットなどを用意しており、寒がりの人には複数のブランケットを提供することもあるようです。飛行機の高度はおよそ1万メートルといいます。1万メートル上空の気圧も温度も地上とはかなり違います(-50℃、250hPa程度)ので、旅客機の内部は上空の空気に比べて与圧し、加温しています。この与圧と加温は、抽気と称される、ジェットエンジンのコンプレッサー部から圧縮されて高温高圧となった空気を取り出して利用するものです。抽気された空気は、高温(圧縮比35倍で230 ℃程度)、と高圧(圧縮比35倍で2500hPa)で、機内用に適切な温度と圧力に調整されて空調用空気として利用されます。ちなみに最近のジェットエンジンのコンプレッサーセクションの圧縮比は、30~40倍だそうです。


 話は飛びますがジェットエンジンの燃焼ガスの噴射は後方のノズルからで、前方の空気取り入れのコンプレッサーの入り口からは噴出しません。コンプレッサーの出口から流出する圧縮空気の流速が高速であり、この流れに逆らった逆流が生じないことはむろんですが、コンプレッサー出口の圧力が高いことも条件の一つになりそうです。ただその圧力はせいぜい、2500hPaでしかなく、ジェットエンジンの燃焼室内の圧力はいくら上昇しても2500hPaを超えることはなさそうということになります。ジェットエンジン後方の噴射気流の猛烈さ(旅客機でも通常300m/s以上、戦闘機では600m/sから900m/sにもなると言います)から、エンジン内部はさぞかし高圧になっているのではないかという印象を与えますが、圧力的にはたいしたことではなさそうです。燃焼エネルギが、静圧力を介することなく、直接、運動圧に上手に変換されているということでしょう。さて、圧力が気になって、横道にそれてしまいましたが、元に戻ります。ジェットエンジンから抽気された空気は、十分に高温です。抽気された空気を断熱膨張させて機内圧程度(800hPa程度でしょうか)としても90℃程度はあると思われますので、機内の暖房用の空調空気としては十分な熱量を持っていると思われます。それにもかかわらず、飛行機内は、いつもとても寒く感じたものです。

 国際便の飛行機の中が寒かったというお話は、日本人には結構、共通していました。海外の建物では冷房がものすごく利いていて寒かったという話と、飛行機の機内が寒かったというのは、いつも共通する話題だったように思います。不思議なのは、同じ飛行機に乗り合わせた西欧人、特に逞しい背格好の男性がビックリするほど、薄着で乗り込んでくることです。こちら日本人は、窓際は空調空気の冷気で体が冷えるので、わざわざ通路側の席を取っているにもかかわらず、逞しい西洋人は座席上の空調吹き出し空気量調整孔も全開して、冷気をしっかりと浴びているのをよく見かけました。ただ、最近の旅客機(と言っても、ここ10数年前ぐらいからでしょうか)には、個人用にこの調節できる空調吹き出し口を見かけることは少なくなりました。ほとんど見かけません。また、国際便(日本の航空会社ですが・・)で特に寒さを感じるということもなく、機内空気の乾燥感を除けば、極めて妥当で快適な空調空間になった気がします。乾燥を感じるのは、仕方ありません。ジェットエンジンから抽気した空気は、そもそも外気温-50℃、すなわち相対湿度100%としても、露点温度が-50℃の乾燥空気ですので、よほど加湿してやらない限り、機内の湿度は低くなってしまいます。航空会社は、機内を加湿すると機体のジュラルミン(?)などが湿気に弱く腐食しやすいなどの理由とやらで、加湿しないとも聞きましたが、ジュラルミンなどの腐食の話は、本当なんでしょうか。航空機内の換気は極めて多く、通常の建物よりは、はるかに大量に換気をしており、加湿するには相応の加湿用の水を必要とすることは確かです。

 またまた、わき道にそれて機内の乾燥の話になってしまいましたが、恰幅の良い暑がりの西欧人男性と小柄な寒がりの日本人男性の温冷感の違いに戻ります。結論から言えば、これは体格の違いが温冷感の違いになっているようです。西欧人は人類が氷河期時代に北方に暮らした人々の子孫で、寒冷地適応により、皮膚表面積が相対的に小さくなって大柄になっています。一方、日本人も含めて、熱帯や温暖地に暮らした人々の子孫は、皮膚表面積が相対的に大きくなって小柄になっています。人は恒温動物で、常に食物からエネルギを取り、代謝により産熱しています。代謝による産熱量は、筋肉量や内臓の容量に比例するもので、体重や人の容積で代表されると考えることができます。人の容積は大雑把に人の身長の3乗に比例すると考えても良いでしょう。従って代謝量は、人の身長の3乗に比例すると考えられます。ところで、代謝による産熱は、皮膚や呼吸により人体外部に放熱されますが、呼吸の寄与はおよそ10%強、残りの多くは皮膚からの放熱によります。皮膚の表面積は、人の身長の2乗に比例すると考えてよいでしょう。皮膚表面積が大きければ、それだけ有効に放熱できます。体重当たりの皮膚表面積が大きければ、放熱の効率は上昇しますので、体内の代謝による産熱にもかかわらず冷えやすくなります。温帯や熱帯では、環境の温度が高いので、人体内温度と環境の温度の差が小さくなり、放熱が抑制される傾向にあるので、相対的に皮膚表面面積が大きいことが有利になります。一方、寒冷地では、代謝量に対して相対的に皮膚表面積が小さいことで、冷えにくくなり、体温維持に有利になります。代謝量は身長の3乗に比例し、皮膚表面積は身長の2乗に比例するということは、身長が高いほど、相対的に皮膚表面からの放熱能力に比べ、代謝による産熱能力が高くなることを意味します。逆に身長が低いほど、相対的に代謝による産熱に対して、皮膚からの放熱が進むことを意味します。背が高く恰幅の良い西洋人男性は、代謝による産熱に対して放熱能力が低下しており、暑がりになり、寒さに強くなります。背が低くやせっぽちの日本人は、放熱効率の良い皮膚表面積に対して代謝による産熱能力が低く、寒がりになり、暑さに強くなります。その昔、航空機内で、恰幅の良い西欧人男性は暑がりで、やせっぽちの日本人は寒がりだったわけです。しかし今や日本人の体格も西欧人並みとなり、この寒がり、暑がりのはっきりした傾向は消失してきたように思われます。また航空機も昔に比べて、機内を均一に丁寧に空調するようになったのだと思います。多分そうなんでしょう。