第六十一夜 風力階級

 お住まいの地域の風が強すぎると、色々な意味で住みにくくなります。瞬間風速(時定数3秒の移動平均風速)が10m/s(地上高さ10m位置での風速)を超えると、歩行に影響するようになるといいます。よく知られているビューフォート風力階級表でいえば、風力3の’Gentle breeze‘か、風力4の’Moderate breeze‘あたりでしょうか。’breeze‘は、日本語に直すと、微風もしくはそよ風、という単語が対応するようですから、風力3の’Gentle breeze‘か、風力4の’Moderate breeze‘の’breeze‘程度で、歩行に影響が出るといわれると違和感をお持ちになる人が多いのかもしれません。ただ、ビューフォート風力階級表では、風力5では’Fresh breeze’、風力6でも、’Strong breeze’と’breeze‘を使い続けますので、’breeze‘が、日本語の微風やそよ風とは、異なる語感であることは確かです。

 このビューフォート風力階級表を発案した、’Sir Francis Beaufort’は、イギリス海軍少将で、海軍の武装帆船での航海において、海上の風の強さを表現するために提唱した階級です。軍人さんは「階級」が好きですから、海上の風の強さに関しても、階級を付けたくなったのでしょう。海上の風の強さを0から12までの13段階に区分し、各段階における風の強さの結果としての海の状況(波浪など)を区分しています。10階級とせず、12階級にした理由は、天体観測などから1年を12か月に分けたことや、1日を昼12等分、夜を12等分した古代人からの慣習に根差していたのかもしれません。また英国は、貨幣制度でも12ペンスが1シリングなどとして十二進法を使っていたことも10階級にせず、12階級にした理由かもしれません。

 ビューフォート風力階級は、海上の風や海上の様子に関して分類するもので、都市の居住環境場における風ではありません。風力0の’Calm’は、風が弱すぎて帆船が進まない状態で、まさに風がない’0’の状態を言っているわけです。風力1の’Light air‘は、日本語に直訳すると「軽微な空気」と表現されていますが、平均風速(時定数10分の移動平均風速)が、0.3?1.5m/s (地上高さ10m位置での風速)程度、帆船を運航するには物足りない風です。貿易風(西向きに吹く東風)と偏西風(東向きに吹く西風)地帯などの多少、風の強い領域を除けば日常的にはこの風力1の’Light air‘程度の風しか吹かないことも多く、帆船は風力1の軽微な風であっても運航できるようするため、帆の張り方に多大の工夫がされています。考えてみてください、大航海時代の帆船は、この風力1の’Light air‘でも、500tonクラスの大型帆船を運航し、太洋を横断する航海をしたといわれています。そのような時代を考えると、現代でも、風力を大事に扱い、帆船運航に対応する洋上風力発電においても、この風力1の’Light air‘でも発電する能力があっても良いように思えます。

 少し、道を外れます。貿易風は、西向きに吹く東風、偏西風は、東向きに吹く西風と書きました。北風、南風など、天気予報でも何気なく、風向を北風とか南風とか言っています。東京中心の電車の発着で、上り列車、下り列車といって、東京に向かう電車を上り電車、東京から離れる電車を下り電車といっています。この方向を表す、上りと下りは、目的地に向かう方向を表しています。上り電車は東京が目的地なので目的地方向を表すのに上り、下り電車は東京方向とは逆方向の目的地を表すのに下りといっています。日本語の習慣で、方向を表すときは、目的に向かう方向を表すことが普通です。しかし、風の方向は、こうした日本語の一般的な使い方と逆です。北風は南に向かい、南風は北に向かいます。多くの人は何気なく、北風、南風という言葉を使っていますが、時々、東風は、東に向かう風とか、西風は、西に向かう風と勘違いする人も多いようです。原子力災害時の放射性物質放散など危険物質が大気中に放出され、風に乗って拡散する懸念に備えることが必要とされています。災害地点の風下は危険物質の到達により危険度が増し、風上は危険物質が来る恐れがないので安全になります。この時、風向を間違えないようにしなくてはなりません。東風は東に向かう風ではなく、西に向かう風です。汚染物質は、東から西に流れます。東風の風下は西です。筆者は、10年以上前になりますが、政府のお役人が風向を逆に解釈し、東風は、東に向かって吹く風として、汚染拡散を評価し、これを公表してしまったことに驚いた経験があります。もちろん、間違いは数日のうちに訂正されました。しかし、緊急時にこの風向の言い間違いは困ったものです。

 さて、風力階級に戻ります。風力1の’Light air‘における風の運動エネルギー密度は、0.016-1.3W/m2程度になります。例えば受風面積を500m2程度としますと、8Wから650Wになります。風速0.7m/sでも100Wに過ぎません。大航海時代、500m2程度の帆を持つ500tonクラスの大型帆船を、風力1の’Light air‘という僅かな風で運航するのは大変なことであったであろうと思います。

 ビューフォート風力階級表で、風力3の’Gentle breeze‘は、帆船速度として少し物足りない優しい風であり、風力4の’Moderate breeze‘こそ、まさに気持ちよく運航できる’breeze‘ということなのでしょう。ちなみにビューフォート風力階級表で、風力3の’Gentle breeze‘は、平均風速が、3.4?5.4m/sであり、風の運動エネルギー密度は、23-94W/m2程度になります。陸上の様子としては、「木の葉や小枝が揺れる」風です。海上では「波頭が砕け、白波が現れ始める」程度を言うようです。人の鉛直投影面積を0.6m2程度と考えると、人は、14-56Wの風の動力を受けることになります。地上で、平均風速3.4?5.4m/sですと瞬間風速は10m/sを超えるようになることも多いようです。瞬間的でも風が10m/sを超えるようになると、人の歩行に影響が出るといわれていますが、10m/sの風の運動エネルギー密度は、600W/m2ですから、受風面積0.6m2程度の人は、360Wもの動力を瞬間的に受けることになります。人の歩行動力は数Wにも足りないといいます。瞬間的でも360Wもの動力を受ければ歩行が乱れても不思議ではない気がします。

 風力4の’Moderate breeze‘は、平均風速が、5.5?7.9m/sであり、風の運動エネルギー密度は、100-300W/m2になります。陸上の様子としては、「砂埃が立ったり、小さなゴミや落ち葉が宙に舞ったりする」風であり、海上では「小さな波が立ち、白波が増える」程度とのことです。500m2程度の帆を張った帆船にとって、50kWから150kWの動力を得ることになります。風は強すぎず、何の心配もなく気持ちよく運航できる風であり、まさに’Moderate breeze‘だったのでしょう。

 なお、ものの本によると、氷山に衝突して海の藻屑と消えたタイタニック号(46,000ton)の最大動力は35,000kW程度だったそうです。タイタニック号の動力をその1/100程度の大きさの500ton程度の帆船に換算すると350kW程度というところになります。この簡単な類推でも風力4の’Moderate breeze’は、そこそこの動力を帆船に提供するものと思われます。ただ、逆の類推でタイタニック号がいくら巨大でも500m2の100倍の50,000m2の帆を張って、これを自在に扱って運航することはむずかしかったであろうと思います(単純に考えても100m×100mの帆が5枚必要)。現在の技術を使っても、タイタニック号に匹敵する帆船を作ることは難しい課題である気がします。

 風力階級での最大は、風力12の’Hurricane’になります。平均風速が、32.7m/s以上です。風の運動エネルギー密度は、21kW/m2以上になります。500m2程度の帆を持つ500tonクラスの大型帆船ですと、風の動力は10,500kW以上ということになります。タイタニック号の最大動力35,000kWの約1/3、ほぼ同じオーダーの動力を持ち合わせるということになるのでしょうか。この際の海の上では、「海上の大気は泡としぶきに満たされ、海面は完全に白くなり、視界は非常に悪くなる」といった状態のようです。こうした暴風の中での帆船の操船は、当然ながら困難となり、転覆や船が破壊される恐れが生じます。現代の近代船でも、このような嵐の中での運航は危険です。港で錨を下ろして停泊していても、走錨を起こして船が流されて座礁したり、海上橋を破壊したりします。数年前、関西国際空港の海上橋が、関西地方を襲った台風のため、走錨を起こした船に衝突されて壊されて、空港へのアクセスが制限されたことがありました。平均風速が、32.7m/sの風の運動エネルギー密度は21kW/m2です、帆が張ってなくても受風面積が500m2もあれば、10,500kWの動力で押されてしまうのですから、走錨も起きてしまうのでしょう。

 なお、空気の密度に対して水の密度は約1000倍あります。川の流れや津波の持つ動力は、風と同じ速度でも1000倍の動力を発揮します。川の流速が10m/sもあれば、その運動エネルギー密度は、空気の1000倍、すなわち、600kW/m2になります。建物の見つけ面積が50m2程度であっても、洪水や津波の流速が10m/sもあれば、30,000kWもの動力を受けることになります。タイタニック号の最大動力35,000kWに対応してしまいます。流速の速い洪水や津波は、助かりようもないエネルギーを持つということになります。

 おまけの話です。石炭や石油などの化石燃料は、燃焼により凡そ40MJ/kgのエネルギーを出します。エネルギー効率が10%程度でも1秒間に1kgの燃料を燃焼させると4MWすなわち4000kWの動力を生み出します。タイタニック号の蒸気機関のエネルギー効率を筆者は知りませんが、最大動力35,000kWを生み出す燃料消費量は、エネルギー効率10%で約9kg/s、約31ton/hourということになります。1日当たり760tonということでしょうか。一週間の航海なら5000tonの燃料が必要です。石油なら17m×17m×17m程度の大きさの燃料タンクで間に合う量になります。