第五十五夜 勾配輸送

 前夜に引き続き、「勾配」を考えてみます。「勾配」という言葉からすぐ連想されるのは「坂」です。スキー場のスロープや鉄道の上り、下り坂など、場所が異なると地盤面の高さが異なるのが、「坂」になります。少し科学的に定義すると2点間で水平距離に対するその地点の海抜高さの違いが「坂」の勾配を表すということでしょうか。今回は、もう少し流力的要素を入れて、水を流すことと熱を伝えることから勾配を考えてみます。熱の場合は、「坂」と異なり2点間の距離に対する温度の違いが温度勾配になります。

 一見、水平に見える街の道路にも、勾配があります。雨が降った時、道路面の雨を効率よく道路わきの側溝や下水道に流すためには、勾配が必要です。側溝にまず雨水を流すために道路のセンターライン部分を高くして歩道側を低くする道路の横断方向に勾配が必要なことは、すぐわかります。しかしこれだけではありません。土木関係者以外あまり知られていないことと思いますが、縦断方向すなわち道路の通行方向にも勾配がつけられています。この縦断方向の勾配は、路面排水のためにごく小さな値の縦断勾配を付しておくのが望ましいとされていて、0.3~0.5%程度の勾配があると良いとされています。鉄道用語で言えば、3~5‰(パーミル)程度と言われています。列車の停止区域の最大勾配が5‰でしたので、ブレーキをかけていない列車が勾配により自然に動き出すことのない安全勾配の範囲内ということになりそうです。しかし、一件水平に見える街の道路が、100m先で30cmから50cmも上ったり下ったりしているなんて、知らない人も多いかもしれません。実際、水平な土地に作られる道路は、100m単位で登ったり下ったりしているようです。道路を自動車で通行していてもこの上ったり下ったりする坂があることはほとんど、気付きません。

 当たり前ですが、雨水や建物からの雑排水を流すためには、勾配が必要です。建物内の横引き排水配管は、2%程度の水勾配をつけることが一般的です。2%というと、横引き10mで20cmも配管を下げなくてはなりません。日本の建築は、欧米の建築に比べて階高を小さくする経済設計(建築材料も節約できるし、建物の延べ床面積も階数を稼いで増やせるのこのように言われていました)が多かったので、この横引き排水配管の勾配を確保して、天井高を確保することが難しい(横引き排水管は、見た目が良くないので天井裏に隠すのが一般的です)ので、勾配が取れず排水不良を起こすリスクが高くなっています。多くの鉄筋コンクリート造や鉄骨造の建物は、柱と梁で構造的に支えられていますが、この横引き配管を通すため、梁に配管を通すことが必要になることがあり、梁貫通孔を施工することも良く行われます。欧米の建築は階高を高くとっていて、こうした横引き配管は、梁下に施工し、梁貫通孔を施工することはあまり行われません。この、梁貫通孔の施工が梁の大事な鉄筋を切断したりして、問題になることも少なくありません。排水管を通す梁貫通は、水勾配を取る必要から特に難儀な問題となるようです。日本の建物が経済設計で階高が低いことは悲しいことです。筆者など、昭和の時代には、階高の低い建物は、日本の貧しさの象徴のような気がしていました。階高が高ければ、窓も上下方向に大きく取れて、昼光利用もしやすくなりますし、通風を室内上部で確保して、机上の書類は外からの風で飛ばないけれども、常に室上部を通風で大量の換気をして、すがすがしい室内で執務することも可能になるのにと、しばしば考えたことがあります。

 この排水の為の水勾配問題は、建物の敷地で、公共下水管への接続の際にも生じます。公共下水管の埋設位置が浅くまた建物から離れた位置になると、建物からの排水を、水勾配を確保して公共下水管に接続することが難しくなります。降雨時は特に雨水排水量が増えるので、この水勾配不足は、大問題になります。雨水が敷地外に排水できず、敷地内に水がたまり、悪くすると隣地の敷地にたまった雨水が流出して、問題をおこしたりします。たかが、勾配ですが、疎かにすると手痛い失敗になる恐ろしい勾配です。建物の新築は結構な費用が必要になります。建築費を床面積1㎡当たり50万円程度として、100㎡の住宅でも5千万円程度、数千㎡の建物であれば、数十億の費用が発生します。そうした多額の費用を支払って、敷地が水浸しになるような雨水排水の不始末や建物内での排水不良が生じた場合の建て主の怒りは、想像がつくと思います。結構な頻度でこうした排水不良とそれに伴う係争が生じているようです。勾配を甘く見るなという教えです。

 話を変えて、熱の伝導を考えます。熱伝導は、固体または静止している流体の内部において高温側から低温側へ熱が伝わる伝熱現象です。熱伝導は、金属などでは伝導電子によるエネルギー伝達と、金属結晶格子間を伝わる振動(格子振動・フォノンと言うそうです)としてのエネルギー伝達の二つのメカニズムがあると言われています。通常の金属であれば、伝導電子による寄与が大きく、金属は半導体や絶縁体より熱伝導性が高く、格子振動・フォノンが熱伝導の担い手となる絶縁体では熱伝導が悪くなります。静止している液体も、分子振動が分子間で伝わるエネルギー伝達が主となります。液体中では、伝熱に関しては、固体と違い放射も少なからず寄与するとも考えられますが、距離減衰が大きく、遠くまで届かず近隣の分子にすぐ吸収されるため、熱伝導に含めて検討されことが多いようです。静止している気体は、気体分子がそれぞれ離れているので、気体分子同士の衝突や、放射によるエネルギー伝達が生じると考えられます。放射による気体分子間のエネルギー伝達は、気体分子による放射の吸収が小さく(放射が遠くまで届く)、常温、常圧ではほとんど無視されます。燃焼炉など高温のガス吸収による放射熱伝達が大きな割合を占める場合などは、熱伝導とは別にガス体間の放射熱伝達として扱われます。

 熱伝導は、フーリエの法則(Fourier's law)に從います。単位時間に単位面積を流れる熱流(熱流束密度)を J [W/m2] とし、温度を T とすると、熱流 J は温度勾配 grad T に比例します。温度勾配がない状態、すなわち場所が違っても温度が同じであれば、Jはゼロになります。気体の場合、熱伝導によるエネルギー伝達は分子間の衝突により生じるので、その効率は、熱拡散率といい、分子が別の分子と衝突するまでの平均的な距離を表す平均自由行程と分子の平均的な移動速度(弾性波すなわち音速に等しい)のそれぞれ、すなわちそれぞれの積に比例するといいます。空気の熱拡散率は0.24cm2/sですが(動粘性係数は、0.15 cm2/s)、ほぼ、空気の平均自由行程、0.07μm程度、音速340m/s程度に対応しています。熱伝導率は、この熱拡散率に密度と比熱を乗じて、0.026W/mKとなります。空気の厚み0.1mで1m×1mの面積の熱流は、0.26W/m2Kと極めて小さい値になります。厚み0.1mの空気の左右で20℃の温度差があっても伝わる熱流は、5 W/m2程度とということになります。ちなみに厚み0.1mのコンクリートで1m×1mの面積の熱伝導は、16W/m2Kですが、左右に20℃の温度差があると320 W/m2の熱が伝わります。厚み0.01mのアルミであれば熱流は21000W/m2Kです。左右に20℃の温度差があると実に420kW/m2もの熱が伝わります。こうしてみると、空気の断熱性能は極めて高いことが実感できます。独立気泡をたっぷり含むウレタンフォーム断熱材の0.1m厚は、空気の高い断熱性能のお陰で0.34 W/m2Kと空気に迫る高い断熱性能を示します。なお、希ガスと言われるアルゴンやキセノンの熱伝導率は空気よりさらに小さく、アルゴンで0.017W/mK、キセノンで0.005W/mKと言われています。窓ガラスなどで断熱性能を高めるため、二重ガラスや三重ガラス構造として、ガラス間にアルゴンやキセノンを封入した高級断熱ガラスなどが実用に供されています。

 静止気体(静止空気)の熱伝導は、極めて悪いですが、空気が流れていて乱流状態の場合は、乱流による混合能力の向上により、熱伝導の能力も格段に向上します。乱流による渦運動は、一種、回転半径が異なる様々な回転運動の集合のようにイメージできます。空気の中で温度が高い場所と低い場所があれば、回転運動により、温度の高い空気が低い場所に運ばれ、同じ回転運動で、温度の低い空気が温度の高い場所に運ばれます。温度の高い場所から温度の低い場所に渦運動により、温度の高い空気が運ばれ、温度の低い場所から温度の高い場所に、温度の低い空気が運ばれることは、両者が相まって熱エネルギーを温度の高い場所から温度の低い場所に運ぶことを意味します。その能率は、渦の大きさと渦の速度によりますので、熱エネルギーが輸送される効率は、乱流の平均渦の大きさと渦の平均速度(乱れ速度)に比例することになります。気体の熱伝導での平均自由行程が、乱れの平均渦直径に、分子の平均移動速度が、乱れの平均運動速度に対応することになります。室内での冷房時や暖房時の気流を考えると、乱れの平均渦直径は室内スケールのおよそ1/7程度と見積もられますが、7mの奥行きの室内で1m程度、乱れの速度は、吹き出し噴流の1/10程度、0.5m/sぐらいとすると、乱流熱拡散率は、0.5m2/s程度、実に静止空気の分子熱拡散率の2万倍にもなります。室内空気の乱れによる熱伝導は、極めて効果的で、室内の温度分布を減じる方向に働きます。もちろん、静止した空気の熱伝導と同じで、平均温度に差がない、すなわち平均温度勾配がなければ、乱れた渦運動による熱エネルギー輸送は生じないことになります。

 しかし、乱流の面白いところで、気体において熱膨張により密度差が生じる場合、重力が働くと、平均温度差がなくとも、熱エネルギー輸送が生じることです。すなわち温度勾配がなくても、熱流が生じます。分かりやすい例を次に挙げます。水平に置かれた並行平板間で、乱流による乱れがあり、平板上で温度の揺らぎがあると、上下方向に温度差がなくとも熱エネルギー輸送が生じます。下面の平板で温度揺らぎにより平均温度より高い気体の塊が生じると、この塊は、密度が小さいので浮力により上昇します。また上面の平板で、温度揺らぎにより平均温度より低い気体の塊が生じると、この塊は、密度が高いので浮力により降下します。それぞれの温度揺らぎで平均温度より高いまたは低い気体の塊は、上昇して上面に熱エネルギーを伝達し、下降する塊は、下面に到達して下面から熱エネルギーを吸収します。温度揺らぎのある上下の平板では、平均温度は同じでも温度揺らぎが生じると、平板の中の流体は、全体として平均温度は同じでも下面から上面に向かって熱エネルギーを輸送します。面白いと思いませんか。平均温度勾配がゼロでも浮力が働く場では、温度揺らぎがあれば、気体だけでなく液体でも熱エネルギーは、重力と逆方向に輸送されるんですヨ。乱れによる熱輸送は、勾配輸送だけでなく勾配がなくとも生じる場合があることは、乱流の研究者であれば常識かもしれませんが、一般の工学者、技術者には、あまり知られていないようにも思えます。