第五十夜 デジタルツィン

 最近、技術開発における「デジタルツイン」という言葉をよく聞くようになりました。「ツイン」とは、双子のことですので、デジタル空間における双子を作るという意味になりそうです。言葉は人によって、その言葉が表す概念が微妙に異なっている場合もあります。慎重に話を通すためには、まずはその言葉の概念が、同じことを指していることを確認することが必要になることもあります。デジタルツインは、比較的最近、使われだした言葉ですので、まずは、その意図するところを皆様と確認しておきましょう。

 「デジタルツイン」を解説する技術書や新聞などを引用すると以下のようになります。デジタルツインとは、物理的な現実空間で得たモノや環境にまつわるデータを、電子的にやり取りできる情報空間であるサイバー空間上に複写投影(コピー)し、これを再現する技術概念を指すとあります。 コピーして再現するだけでは、寂しいので、「単にデータを再現」だけでなく、「データの背景となるシステムをモデリング、同定する」ということを暗に含んでいるといってよいでしょう。種々のリアル空間でセンサーデバイスなどからIoT技術を駆使して得たデータ・情報を、鏡のようにそっくりサイバー空間に反映させることからデジタルツイン、すなわち「デジタルの双子」と名付けられたようです。 「デジタルツイン」の一般の皆様向けの解説では、IoTの進歩により、現行のデータを自動でしかもリアルタイムで取得し続けられるようになったため、デジタルツインの実現が可能となりました・・・と能天気(オプティミスティック)に解説されています。筆者などは、昔から実現象の「モデリング」や「システム同定」という言葉、特に統計的なシステム同定や、その発展形である深層学習などの限界に関しては、少なくない人が裏切られて来たのを見た気がしていますので、そちらが心配になってしまいます。デジタルツインを謡うなら、そもそものデータ取得の信頼性がどのように担保されているのか、データ取得の範囲や分解能は充分であるのか、データを利用してシステム解析をしようとするなら、それら学習データの質、モデリングの限界や適用範囲などに、どの程度、注意が払われているのかと、心配が先立ってしまいます。善良な技術者が多いことは承知していますが、中には悪賢い、そうでもなくても不注意な技術者は結構いますし、利用者との接点は、そうした技術者ではなく、技術の詳細を学んだわけではない人々で、情報の非対称性(情報伝達の不均衡)の最たる例として、簡単に素人が専門家に言いくるめられそうな危うさを感じます。

 オールマイティのデジタルツインという言葉に踊らされないよう注意して、その活用を見てみましょう。まず、第一の活用は、現実空間のリアルなモニタリングです。世の中には、現場を一目見ただけで、状況を把握し、適切な対処法を指示できるエキスパートがいます。そうした真のエキスパートが、現場の数に対応して、いるわけではありません。体がいくつあっても足りない位、忙しいでしょうし、そのようなエキスパートに見てもらえず、見落としで、しなくても良い損害を出してしまうこともあるでしょう。デジタルツインは、現実空間のリアルなモデリングですから、エキスパートがわざわざ現場に出向かなくても、そのコピーをサイバー空間の中で再現することにより、エキスパートがこれをモニタリングして判断を下すことができます。サイバー空間の中でエキスパートが移動するのは、現実空間より遥かに高速かつ簡単に行えるでしょうから、少ないエキスパートでも十分、現場を把握し、判断することができることになります。とここまで書いてきて、ロシアによるウクライナの軍事侵攻をこのデジタルツインに落とし込むことの「恐ろしさ」もしくは有用性がどうしても連想されてしまいます。

 ドローンなどは大きすぎるので、敵方の状況を偵察するには、それほど有用ではないかもしれませんが、昆虫型のドローン(ドローンというのでしょうか)では、ハエのような小型のものが開発されている、あるいは実際のハエに、観察用のセンサーと発信器を取り付けるなどして、デジタルツインを実現できるのもそう遠くない話と側聞したことがあります。ゴキブリやハエなどの小型の昆虫は、人間の活動するあらゆる場所に現れますので、敵方の状況把握は、容易に行えるかもしれません。いまだ、そうしたニュースを公共放送で見聞きすることはないので、現在はまだかもしれませんが、デジタルツインは、まさに戦場で最も必要とされる技術になるような気がします。日本は、第二次世界大戦の敗戦から、多くの科学者、工学者は兵器開発に比較的ナイーブになっていますが、世界の多くの国では、一歩先を行く兵器開発は国の大きな目標となっています。しかし、連想を膨らませると、この昆虫型のセンサーを開発して、大量のデータを取得する恐ろしさは、想像を超えます。ターゲットが決まれば、あらゆる場所のデジタルツイン、監視社会が実現できます。どんなに隠そうと努力しても、ご亭主のafter fiveの行動を奥様が把握し、対処することも可能になりそうです。こうしたセンサーの侵入を防ぎ、またそうしたセンサーからの情報伝達、情報収集を防ぐ技術も、同時に開発されるのでしょう。デジタルツイン技術の発展を強く願いながら、人の生活を破壊するリスクが最小化されることも願います。

 横道にそれましたが、デジタルツインはモニターにのみ使用されるわけではありません。サイバー空間に実現されるツインですので、モニターするのも人ではなく、深層学習など人工知能を備えたシステムにモニターさせることもできます。このようなシステムは、現状を把握するだけではなく、同定されたシステムを利用して、サイバー空間において現実空間での近未来の事象を推測・予測できます。さらにはシステムを利用して操作可能なパラメータを利用してアクティブに未来を制御することさえ、可能になるでしょう。実際に、政府や東京都などの自治体は、デジタルツインを導入したSociety 5.0に向けた戦略を発表しており、行政やビジネスの分野でデジタルツインのさらなる普及が予想されています。

 デジタルツインが、産業界に大きな利益を与えることは、言うまでもありません。例えば、工場などの生産設備にデジタルツインが導入されれば、製造機器の稼働状況を同時進行で把握でき、故障予測を行うこともできます。さらに人工知能を導入すれば、機器の効率的なメンテナンスも可能になるでしょうし、これにより、負荷なく人員を適材適所に割り当てられることも考えられます。

 ここまで、考えてきますと、デジタルツインは、現実空間における未来の変化を、サイバー空間での実証試験により推測するという点で、シミュレーションの一種と考えることができます。シミュレーションの欠点を補完したさらに高度な手法であると言えます。なお、以前もお話したかもしれませんが、深層学習に代表される人工知能は、十分な学習条件が与えられれば物理法則のシステムを再現します。高度(解像度が極めて高い)乱流シミュレーションを学習データとして与えられた深層学習は、物理法則に基づく乱流シミュレーションを正確に再現することができます。非線形現象の典型である乱流シミュレーションを学習により、同じ初期条件、境界条件を与えれば、正確に再現されます。この意味でも、デジタルツイン上の人工知能は、現実世界の現象をサイバー空間上に再現しますので、ある意味、流体の物理法則に基づくCFDシミュレーションを凌駕する潜在能力を秘めていると考えても良いかもしれません。

 今後のデジタルツイン技術の進展をCFD解析技術者も注意深く観察し、その利用の可能性を考えることが必要となる時が近づいてきたことを自覚せずにはおられません。