第四十八夜 広がり

 この数十年、携帯電話、スマートホンの普及は、すさまじい勢いがありました。前身としての移動体からの電話サービスは、列車電話が身近でした。もう40~50年前のなってしまいますが、1970年代、新幹線では、軽食を提供していたビュッフェカーに公衆電話が備えられており、発信と着信が可能でした。筆者もそのころから東海道新幹線をよく利用していましたが、車内アナウンスで乗客への着信が知らされ、列車電話に向かう人を度々、目撃した記憶があります。少し後の1980年代には、国会議員や大企業の社長さんなどのVIPが自動車電話備え付けの黒塗りの自家用車に乗っているのをよく目撃しました。黒い特徴的なアンテナが後部のトランクから直立しており、自動車電話付きの車だとすぐわかりました。黒いアンテナが一種ステータスシンボルで、自動車電話装着とは無関係にアンテナだけをつけた車に乗る人も多いと聞きました。同じころ、自動車電話の持ち運び用としてブリーフケースぐらいの大きなショルダーホンを持ち歩く人も偶に見かけました。どこかしこにも公衆電話があり、発信は比較的自由にできましたし、呼び出し用のポケットベルもありましたので、いかにも邪魔そうなショルダーホンを持ち歩く人は、やはりお鼻の高い見栄っ張りだったと思います。筆者も、出先の喫茶店かどこかで、打ち合わせをしていた時に、相手がショルダーホンを担いできており、かかってきた電話に得意げに大声で対応していたことを覚えています。

 自動車電話が普及しだした同じころ、日本ではスキーが一大ブームとなり、各地にスキー場が開設されました。筆者も家族や仲間と毎シーズン、複数回のスキーを楽しんだものです。スキー場は広いので、仲間とはぐれてしまうと、見つけることが容易ではありません。連絡手段の確保が重要でした。今はもう見かけませんが、電車の駅などには、待ち合わせなどの連絡用に、「連絡板」という、黒板とチョークが用意されていました。スキー場のゴンドラ駅などにもこうした連絡板が用意されており、待ち合わせの伝言などに利用されていました。しかし、「連絡板」は見落としも多く、確実性には欠けます。プライバシー公開気味の「連絡板」の使用は抵抗がありました。そうは言っても連絡手段の確保は重要です。スキー場で無線機を使う人も多かったと思います。筆者の場合、430MHz(波長70cm)、出力5W程度、バッテリー込みで重量1kg越えのアマチュア無線機を持ち歩いており、連絡を取りました。アマチュア無線とはいえ、出力5Wのトランシーバー電波は強力です。現在の携帯電話などに比べると、すさまじく大きい出力です。山影などで電波がさえぎられることもありますが、たいていのスキー場では無理なく連絡が取れました。ただ、無線出力が大きいことは電源には問題で、常にバッテリー容量を気にする必要がありましたし、毎晩、充電する必要がありました。自宅でこの無線機をいたずらすると、電波出力1kWから100W程度の電子レンジ並みとは行きませんが、かなり強力な電波で、家庭電気機器が誤動作することも経験しました。

 アマチュア無線は、交信周波数が一致すれば、誰とも交信できて、秘話性を欠きます。「連絡板」と同じです。筆者の場合、交信時にトーン信号を重畳し、トーン信号が重畳されないときは無音となるトーンスケルチ機能も利用していました。周波数とトーン周波数の2の「鍵」を利用して、多少の秘話性を確保して交信していたように思います。しかし、この秘話性も脆弱かつ問題で、相手先が、この二つの周波数を忘れたり、間違えたりすると、困ってしまいます。

 1990年代も後半になると、家族や仲間も小型100g程度の携帯電話を持つようになりました。アマチュア無線と同じ無線通信ですが、デジタル通信となり、自動車電話などのアナログ通信では怪しかった会話の秘話性も、ある程度、確保されていたと思います。山中のスキー場も、基地局が整備され、携帯電話が使えるようになりました。お陰でアマチュア無線機は無用の長物化しました。モールス信号を覚えなくても取得可能だった電話級(今は4級というようです)のアマチュア無線の無線従事者免許を取りましたが、有効期限がなかったと思いますので、無線従事者免許は今も有効と信じています。しかし、call sign、JR1GKXと指定された筆者の無線局免許は、更新を怠ったため、現在は無効になっています。筆者が使用していたcall signは、どなたか別の無線局がお使いだと思います。

 折角ですから、日本国憲法前文の続きの文章も掲載しておきます。「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」とあります。この中に「これは人類普遍の原理であり」とあります。原理というからには、物質の保存則やエネルギーの保存則などの物理則と同じで、原理であることが証明されてなくてはなりません。しかし、その原理が通用しない国が今も、世界に多数あります。その存在は、「人類普遍の原理」の確かな反証でしょう? 少なくとも「人類普遍の原理」は、原理ではなく、期待を表す言葉でしかないことは明らかでしょう。続けますが、この後半は素直に読めそうな気がしました。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」 とあります。後半は、「人類普遍の原理」などと大上段には構えていません。「日本国民は、このように考え、信じ、行動する」と言っているので、神がかり的な印象は薄れ、知性的な印象を与えているかもしれません。ただ、主語は、「日本国民」としています。文章的にはすべての「日本国民」、日本国民全員が、このように考え、信じ、行動すると言っているよう思えます。これって、全体主義と変わらない決めつけの様にも感じますが、如何でしょうか。日本国民の大多数の人がこのように考えることは望ましいことで、良いこととは思います。しかし、日本国民全員がこのように考え、行動すると日本のみならず諸外国に宣言することには、偽善の香りを感じてしまいました。

 ところで、最近、ロシアがウクライナを侵略した戦争で、ロシア兵士の携帯電話での交信内容をウクライナが傍受し、これを様々に利用しているという、ニュースを見聞きしました。ロシアの携帯電話も、多分、いわゆる3Gもしくは4Gのデジタル通信と想像します。電話番号を用いて会話先を特定する音声会話は、通信電波を傍受されても秘話性が確保される暗号化がなされている筈と思っていましたが、違うんですね。ロシアもしくはウクライナでの3Gもしくは4Gの携帯電話による会話の秘話性が確保されていないということは、日本や世界中の3Gもしくは4Gの携帯電話の秘話性も必ずしも保証されていないということだと思います。筆者は漏れて事件になるような重大な秘密は持ち合わせていませんし、そうした秘密を音声会話で交信する相手もいませんが、何とはなく監視されている可能性を感じ、恐ろしいことのように思えます。日本は、憲法で通信の秘話性を保証していますが、通信の秘密性の保証は、手紙のやり取りまでで、電波や電信はもう、実質的に範囲外ということかもしれませんネ。

 携帯電話やスマートホンに限らず、PC(8ビット、16ビット、32ビットなど、いろいろありました)やPCのOS(CP/MやCPM/86、MSDOS、Windowsなど)、パソコン通信(CompuServeやAOL、Niftyなど)の普及の過程を揺籃期から成熟期まで、つぶさに体験してきました。変化に富んだ面白い時代だったと思います。これら新しい技術の普及の過程を分析することは面白いし、参考になりそうな気がします。携帯電話の普及で考えれば、契約者数や基地局数の増加や、契約可能なある個人や法人の総数に対する割合(すなわち普及率?)の増加、およびその時間的変化などで、あらまし理解できそうに思えます。しかし、普及の地域性など、面的な広がりも含めた普及の性状を理解するには、こうした総数に対する分析だけでは不十分です。多分、県単位、市町村単位、あるいは更に分割された地域ごとに、契約者数や基地局数に対する普及率を分析することになるかもしれません。このような普及率の面的な広がりは、地図上に、普及率の等値線図(同じ標高の場所をつないで線で示す地図の等高線図などは、等値線図の一種になります)として表すことが可能になると思います。多分、若者が多い東京や大阪などの大都市は普及率が高く、老齢化の進んだ地域では、低い値を示すのかもしれません。日本地図上に、携帯電話の個人普及率、法人普及率などの等値線図を描き、さらに、年々の等値線図を比較して、その時間的な変化を見ることができれば、携帯電話が日本でどのように普及していったかを、よく理解できる資料になると思われます。

 等値線図は、様々な指標の面的な広がりや空間的広がりを良く表す、優れた表現方法と言えます。等値線図により、広がりの直感的な理解も進むものと思われます。しかし、等値線図に描かれた分布のパターンを、簡潔な記号や数量で表現することは、易しくはない気がします。“地図には、地名も書いてありますので、普及の等値線図を見て、東京、千代田区、岩本町付近の1995年携帯電話の普及率は何%だった、その周辺の普及率は何%で、岩本町から東に向かうほど普及率は低下した。”などと具体的に表現することは可能ですが、等値線図の全体の傾向を端的に一言で表す方法は、なかなかに難しいように思えます。

 筆者は、過去、室内における汚染物質が発生する際の、汚染物質の空間分布の解析を良く手掛けました。まずは流体の数値解析(CFD)で室内の流れ性状を解析し、その流れ性状に基づき、汚染物質の移流拡散方程式の数値解析により解析し、汚染物質濃度の等値線図を求めるわけです。この図は、汚染物質の空間的な広がりに対する直感的理解をもたらしますが、分布性状を定量的に端的に表すことは、かなり難しい課題でした。筆者のこの課題に対して、平面的な2次元でも空間的な3次元でも、その分布性状をモーメント展開により表し、その0次モーメント、1次モーメント、2次モーメントなどの、低次のモーメントで、その分布性状を表すことを提案いたしました。0次のモーメントは、空間内の積分平均値を表し、1次モーメントは、重心の位置、2次モーメントは、重心からの拡散半径を表すという物理的な意味もあります。室内など、環境中での流れによる物質の移流、拡散の空間的な分布、分布のパターンは、このモーメント展開表示で表すと、比較的低次のモーメントだけを用いて、表すことが可能になります。筆者は、このモーメント展開での0次モーメントをSVE1(Scale for Ventilation Efficiency 1)、2次モーメントをSVE2(Scale for Ventilation Efficiency 2)と名付けて、室内換気の換気効率指標として有用となることを提案いたしました。ご興味があれば、筆者の論文や解説文などを参照していただけると良いと思います。

 空間分布性状をモーメント展開で表す方法は、それなりに有効と思われます。携帯電話の普及率のように、複数の大都市に山があり、その周辺で下がっているような複雑な分布図を表すには、低次のモーメント項だけで表すことは、難しくなります。高次のモーメント項もそれなりの値を持つようになり、無視できなくなります。富士山のように、頂上がありその周辺はなだらかに低減するようなシンプルな空間分布は、低次のモーメント項で良く表現できますが、独立した山がいくつもあると難しくなるわけです。携帯電話、スマートホン、様々な便利な機会が身の回りに普及していますが、その普及の広がりのパターンを簡便に表すのは、なかなかに難しいように感じます。