第四十一夜 車は急には曲がれない

 高校の物理学の授業では、ニュートン力学の初歩を学びます。運動に関わる三法則です。慣性の法則、運動の法則、作用反作用の法則です。慣性の法則は、「すべての物体は、外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続け、運動している物体は等速直線運動を続ける」というものです。運動の法則は、「物体に力が働くとき、物体には力と同じ向きの加速度が生じ、その加速度の大きさは力の大きさに比例し、物体の質量に反比例する」というものです。作用・反作用の法則は、「物体Aから物体Bに力を加えると、物体Aは物体Bから大きさが同じで逆向きの力(反作用)を同一作用線上で受ける」というものです。このニュートンの運動法則は、普段の生活の中でも私たちが良く体験する現象であるため、直感的に理解しやすい法則と言われていますが、いかがでしょうか。フレミングの左手の法則や右手の法則、更にはファラデーの電磁誘導の法則、ローレンツ力などという言葉も、小学生の理科の教科書から高校生の物理の教科書まで、何度も何度も出てきましたが、覚えていらっしゃるでしょうか。筆者などは、使わない出来事や知識はどんどん、忘れてしまいます。指数関数や対数関数などの合成関数の導関数など、高校生時代に徹底的に演習で身に着け、生涯、決して忘れることはないだろうと自信を持っていたにも関わらず、多くは忘れました。高校を卒業したのはもう半世紀も前だからと言い訳がましいですが、最近の経験です。ついに指数関数のテイラー級数展開初項近似形に不安を覚え、こんなこともうろ覚えになるかと悲観にくれました。指数関数はとても大事な関数です。変数がマイナス領域の指数関数は、様々な現象の減衰性状を表すのに大変良く用いられます。いくら専門が数学を応用する工学分野をといっても、実際の解析はほとんどが数値計算で行います。数式展開に汗をかくことなど、ほとんどありません。また数値計算では指数関数など初等関数は、そのままの形で計算機が値を出してくれますので、わざわざ級数展開近似など、する必要もありません。使わない知識は忘れます。現代社会の社会生活では、高校時代に修得した数学や物理などの基礎知識を十分に生かせる機会など、ほとんどありません。すべて、専門家任せで、暮らせます。周りを見ても数学や物理に縁がある生活をしている人などほとんどありません。対数や指数関数、三角関数の名前すら記憶にない人も多いようです。少しおかしいですね。残念なことです。例えは悪いですが、空調などで快適な暮らしができるようになり、運動する機会が失われ、かえって体の健康度が低下する風潮に似ているかもしれません。

 さて、力学の初歩に戻ります。電車や車がカーブを曲がる際、人はカーブの外側に向かう遠心力を感じます。運動の方向を変える、すなわち加速度はゼロではないので、力が働いているわけですが、このカーブを曲がる電車や車に働く力、すなわち向心力は、どこから発生するのでしょうか。答えは、レールや道路の摩擦力が電車や車をカーブの内側に押す向心力となって、運動の方向を変える加速度が生じます。レールや道路には、この向心力の反作用として、カーブの外側に引き寄せられる力が働きます。電車や車に乗っている人も同様で、電車や車の床と人の間の摩擦力により、カーブの内側に人を引き寄せる向心力が働き、人は電車や車と一体となってカーブを曲がる加速度を得ます。ところで、電車や車に乗っている人を中心に考えると、少し違う視点が生じます。人と一体の座標系を考えると、この座標系では人は、静止していることになります。静止しているため運動の変化は生じておらず、加速度はゼロです。すなわち、加速度はゼロですから力は釣り合っているはずです。しかし、電車や車の床との摩擦力が人をカーブの内側に引き寄せる向心力として働いていますから、その反対方向の力、カーブの外側に引っ張る力が人に働かないと、静止していることができません。これが、慣性の力ともいえる遠心力と呼ばれるものです。遠心力は、普段の生活の中で私たちが良く体験する現象であり、直感的に理解しやすい力です。しかし、カーブでは、床との摩擦力が自分をカーブの内側に引っ張る向心力として働いていると実感している人はどれほどいるでしょうか。ニュートンの運動法則は、直感的に理解しやすい法則と言われていますが、本当でしょうかネ。床や地面にたっている人に対して、重力と床や地面からの抗力が働いて、人が床や地面に静止して立っていられるということを実感している人がどれほどいるのでしょうか。単純な力のつり合いや運動の法則を直感的に理解できず、物理が嫌いになった人をたくさん知っています。

 そこで追い打ち掛けて、更なる問題。ダクトを流れる空気やパイプを流れる水が、曲線やクランク部分で流れの方向を変えて進むことに、誰も不思議に思わないと思います。電車や車がカーブからはみ出しもせず、レールや道なりに進むように、ダクト内の空気やパイプ内の水も、どんなに複雑な流路でも、ダクトやパイプなりに流れます。空気や水といえども、質量をもった物体ですので運動の方向を変えることは、加速度が生じていることを意味します。車でカーブを曲がる際に地面との摩擦力が働き、力と加速度が説明できるのであれば、ダクトやパイプの中を流れる流体に働く力に関しても、きっと多くの人は、答えることができるのではないかと想像しますが、本当でしょうか。摩擦力ですか?

 ニュートンの運動の法則は、質点の運動に関する法則です。ものの形が問題になる剛体の運動に関しては、剛体は回転運動もするので、この剛体の回転に関する法則が付加されます。さらに剛体は、剛体の加力点から作用点へと圧縮力も張力もモーメント力を伝えることもできます。しかし、基本は質点の運動法則です。流体は、剛体よりさらに複雑かもしれません。剛体のように特性として形を持ちません。力や流体と固体との境界の形に応じて自由にその形状を変えてしまいますし、剛体のように力を伝えることも閉空間を形成する剛体に囲われて圧力を伝えることを除けば、基本的にはできません。しかし、運動の基本は、やはり質点の運動法則です。剛体が、剛体上の各質点の位置関係の変わらぬ質点の集合とみなせるように、流体は、各質点が自由にその相対的な位置関係が変わり得るものの集合としてみなすことができます。ただ、流体の各質点間には「圧力」という名の圧縮力が働き、これが運動に大きな影響を与えます。圧力は容易にイメージできます。メスシリンダーに注がれた質点の集合である水を考えたとき、メスシリンダー下部の水は、上部の水の重力を受けて圧縮力に晒されているはずです。下部であるほど、各質点間に働く圧縮力は強くなります。この圧力は流体の運動によっても生じます。高速の流れが何らかの理由、例えば流路が広がるなどで、低速になると、負の加速度が生じていることを意味し、この負の加速度に対応した力が圧縮力として働いています。メスシリンダーの例の静止した流体と異なり、運動量を減少させる力が生じ、静止流体の重力と同様、流体を押しているわけです。さらには、この力の方向に質量が移動することにより仕事(エネルギー)が生じており、質点の持つ運動エネルギーは減少し、質点の持つポテンシャルエネルギーは上昇します。流体の運動では、この質点間に働く圧縮力(圧力)が大きな役割を持ちます。

 さて、クランク型すなわち直角に曲がるダクト内を流れる空気がなぜダクトに沿って直角に曲がるのか考えてみます。クランクの入り口まで流れてきた質点は、クランクの壁を突き抜けて流れるわけにはいきませんので、クランクの壁に向かって次第に減速し、クランクの壁面で速度ゼロになります。減速するわけですからクランクの壁面に向かって、圧力は上昇します。この圧力上昇の変化が、質点の速度を減速させるわけです。ところでクランクの出口の方向は流路が開けていますので、質点の減速による圧力上昇要素などはありません。すなわち、クランクの壁に流れが衝突する領域より圧力は低いため、この圧力減少により、質点はクランクの出口方向で加速されます。すなわち、クランクの角部の圧力上昇により、クランク入口からの質点は流れ方向に減速し、クランク出口に向かって加速されていきます。この圧力上昇と減少がクランク型のダクト内では流れが方向を変える原動力となります。ダクトの中の空気やパイプの中の水がダクトやパイプの形状に沿って流れの方向を変えて流れる原動力は圧力変化に依っています。

 クランク型のダクトの流れで問題なのは、クランク内の外側ではなく、内側の流れです。外側は内側に比べ大回りですから方向を変える加速度も小さくて済みますが、内側は小回りしなければならず、クランクに沿って流れの方向を変えるには、外側より大きな圧力変化が必要ですが、圧力上昇は、クランク内の外側で大きく、内側にはあまり働きません。カーブで外側に振られる遠心力をイメージするのも良いかもしれません。結果、クランクの内側の角部では、流れは鋭く方向を変えることができず、角部から剥がれてしまいます。まさに質量を持った車はよほど大きな力を加えてやらない限り、急には曲がれず、大回りしてしまうのです。クランクの角部からクランクの出口に向かってクランクの内側では、流れが大回りしてしまい、角部で剥離してその後流に渦が生じることになります。この剥離した渦が曲者です。この渦はクランク角部からその出口に向かう流れの流路を実質的に狭めるので、流れは加速し、運動エネルギーは上昇し、ポテンシャルエネルギーに対応する圧力は低下します。問題は、この角部に生じた渦と縮流により加速された本来の流れとの間に生じる速度差、せん断です。せん断流れは、せん断により乱れが生じ、流れの持つ運動エネルギーが大きく消費されて不可逆的に熱エネルギーに変換され、二度と運動エネルギーに変換されません。大きな全圧損失が生じてしまうのです。剥離させてしまうような急な曲がりを持つダクトやパイプは、エネルギー損失につながり、カーボンニュートラル(CN)を目指す社会ではご法度なのです。

 では、どうすれば、内側の角で生じる剥離を抑えることができるのでしょうか。様々な対策が考えられます。内側の角を削り、回転半径が大きい滑らかなカーブにすることが、まず考えられます。クランク型を諦め、滑らかに曲がる曲線形にすることも一法です。電車のレールではカーブにおける車輪のせり上がりを防ぐためガイドレールを設置することも行われます。同様に空気を流すダクトや水を流すパイプでは、ダクト内部にカーブするガイドベーンを設置することも考えられます。一番大事なことは、無理してダクトやパイプを曲げないことです。どうしても曲げなければならなければ、可能な限り、滑らかに曲げ、曲線の回転半径を大きくすることです。道路のカーブと同じです。