第三十九夜 条件付き

 多くの人が亡くなった第二次世界大戦の終結は、世界的には1945年9月2日とされています。この日、東京湾上の米国軍艦ミズーリ号上で、枢軸国の最後の一員として戦った日本が、連合国に対して無条件の降伏文書の調印を行っています。8月15日以降、日本が戦闘を停止したといっても、降伏文書に調印したわけではないので、戦争は継続していたとして、9月2日の戦争終結までの間に、日本にとって無慈悲なことをした戦勝国もあるようです。無条件の降伏というと、当時まだ生を受けていなかったとはいえ、日本国民の一人である筆者も、この響きに様々な無念を感じます。枢軸国は、連合国軍の占領下に置かれ、連合国による内政の指導を受けました。また日本、ドイツ、イタリアなどの枢軸国は戦後の国際連合の敵国条項で「旧敵国」として指定され、国連の原加盟国になることができませんでした。その後遺症で「旧敵国」は、国際連合にどのように多大の貢献をしても、加盟国に法的に拘束力を持つ決議を行うことができるという意味で、事実上の最高意思決定機関である安全保障理事会の常任理事国にはなれないという形で現在も尾を引いています。

 無条件降伏は、字義的には降伏の条件が予め取り決められていない降伏ということですが、戦勝国が提示した条件に、何らの条件もつけずに降伏した場合も、無条件降伏と言うようです。日本の降伏は、ポツダム宣言などで、降伏にあたり戦勝国から様々な条件を付けられていましたので、後者の無条件降伏にあたります。無条件で戦勝国の条件を呑むわけですから、戦争終結にあたって和平交渉は行われません。古代の有名な無条件降伏は、アテネを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロソネソス同盟の間で行われたペロポネソス戦争において、歴史に残るアテネによるメロスの包囲戦のようです。スパルタの救援を信じたメロス人がアテネに対して抗戦しましたが、スパルタからの援軍は来ず、アテネに無条件降伏しました。その結果、メロス人の成人男子は全員が処刑され、女子供は全員が奴隷にされました。無条件はいけません。第二次世界大戦中の日本は、無条件降伏以前の選択肢として、条件付きの降伏や、降伏には至らない戦争終結の条件を確保し、これを選択できていれば、あるいは無条件降伏をしなくて済んだのかもしれません。どうやら日本は無条件降伏に至る前の確実性のある複数のシナリオを持つことなく、振り返れば根拠の乏しい、希望観測的な戦争終結シナリオで、開戦してしまったのかもしれません。戦勝国に古代のアテネとは異なる近代人の知性があったことは、日本にとって幸いでした。

 戦争を合理的に行う科学の一つとして、オペレーションリサーチ(作戦研究)があります。オペレーションリサーチは、科学に基づいています。エビデンスベースであり、科学的な分析に基づき、最適な作戦(劣等解でない作戦)が提示されて、意思決定者がその最適解(パレート解)の一つを選んで作戦を実行します。作戦参謀は、エビデンスベースで、様々な作戦目的の評価の中から最適解(パレート解)である複数の作戦を立案します。将軍は、意思決定者として参謀の立案した複数の作戦の一つを選択し、その責任の下、これを実行します。現実の作戦研究はもっと複雑であり、作戦参謀のパレート解探査と将軍による意思決定という2段階の関係に単純化することはできないかもしれませんが、ご容赦ください。

 まず、作戦は単純な単目的ではありませんので、必ず複数たてることが必要です。これしかないという作戦は、いわばやけっぱち作戦で、多くの可能性や、不確実性、目的評価を無視する科学を放棄した作戦です。作戦は、多目的最適化の典型です。作戦には多くの目的とその評価があります。すべての目的とその評価を満足する作戦はなかなかにありません。作戦の目的は単純ではなく、複数のトレードオフ関係にある目的の調整が必要です。目的には、敵の損傷、味方の損傷、作戦の費用、作戦に必要な資源、近代戦の場合は、敵方の市民(非戦闘員)を巻き込む損傷、味方の市民(非戦闘員)を巻き込む損傷、などなど、様々な目的の評価があります。これらの中には、トレードオフ関係にあり、どちらか一方を益すれば、他方が損なわれることがあります。敵の損害が大きい評価の作戦は、小さく評価したい味方の損害も大きくなることがあり得ます。きっと小さく評価したい資源や費用も大きくなるでしょう。一つの作戦だけで戦争が終結すれば、必要な資源や費用は1回限りで良いかもしれません。しかし敵の損害が大きくても、それで降伏してくれなければ、戦争を継続して、資源や費用を使い続けなくてはなりません。資源や費用には限度があります。無尽蔵に使えません。尽きてしまえば、作戦も実行できません。味方の損傷が大きければ、戦闘能力が低下し、次の作戦が実行できません。参謀は、こうしたあらゆる目的や状況を考慮、評価して、「劣等解」ではない作戦を立てなければなりません。「劣等解」とは、様々な目的の中での評価において、その解よりいずれかの評価でより良い評価が得られる解が存在するものを指します。まずは、すべての目的の評価において「劣等解」ではない解、「パレート解」を見つけなくてはなりません。簡単な例を説明します。敵の損害が同じで、味方の損害も同じで、資源や費用などに関し様々な作戦があり得る状況で、資源や費用などが一番小さくなるのが、パレート解です。資源や費用などで、その解より大きくなるものは「劣等解」です。パレート解となる作戦の中には、相互の目的に関し、トレードオフ関係にあるものがあり得ます。同じく簡単な例を説明します。敵の損害は小さいが、味方の損害も小さく、費用や資源も、そこそこ、というパレート解もあれば、敵の損害は大きく、しかし味方の損害も大きく、費用や資源も多く使うというパレート解も存在するでしょう。敵の損害と味方の損害は、得てしてトレードオフ関係になります。敵の損害は大きく、味方の損害は小さいという都合の良い作戦はなかなか存在しません。参謀は、パレート解を形成する複数の作戦候補を科学的手法により見つけ出し、これを、将軍という意思決定者に示すことが仕事です。作戦の責任は将軍にあり、参謀にはありません。将軍が意思決定者として、責任を回避することなく、将軍の価値判断に従い、パレート解の中から、将軍の価値判断に適したパレート解を選択し、これを作戦として実行することになります。味方の損害は大きいが、敵の損害は極めて大きいという作戦を選択することもあれば、味方の損害を最小限にするため、敵の損害が小さくなるのはやむを得ないという作戦を選択することもあるのでしょう。

 パレート解の探査には、予め条件を付けることが来ます。作戦研究であれば、敵の損傷に大きいほうの限度はないかもしれません、小さいほうに限度をつけるでしょう。敵の戦車や、ミサイルは最低、何台、破壊しなければならいないとか、作戦費用はいくら位を限度にするかとか、敵方の市民の損害は、どの程度以下にするかとか、味方の死傷者は何名以内にするとか、冷酷無比かもしれませんが、戦争ですから仕方ありません。無限の可能性、すなわち、無条件で最適化探査を行うことはありません。予め、その場の状況に即した条件でパレート解の探査が行われます。条件を付けることにより、最適解を探査する範囲が小さくなり、探査も容易になります。ただ、条件を付けてしまうことにより、思いもかけない幸運な解を探査から見逃してしまう可能性も生じます。そうした可能性を免れるためには、経験が大事になると思われます。

 昨今の世界情勢から、つい、戦争につながる話になってしまいました。しかし、作戦研究における最適化探査は、工学的な設計の分野で様々に生かされています。流体に関連する機械や建築の世界でも同様です。様々な分野で、この条件付き最適化探査が行われ、デザイナーの意思決定のもとで、多くのものが出来上がっていきます。