第三十一夜 感染拡散

 2020年は世界中がCOVID-19に振り回された1年でした。2020年の年明け早々、中国から始まりました新型コロナウィルス感染症が猛威を振るい、グローバル化した社会のおかげで数か月もしないうちに、世界中に感染症が広がってしまいました。ところで、感染症の広がりは、物理的な拡散問題に類似しています。従いまして、感染症のマクロ的な拡大も、物理的な拡散を類推した数学モデルがよく用いられます。

 固体内であろうとも液体や気体の中で、媒体分子とは異なる分子が移動する現象すなわち拡散は、移動する分子が固体内あるいは液体や気体などの媒体の中で媒体と密に結合しておらず、分子運動のわずかなエネルギーで媒体分子集合内を移動可能ということが基本条件になります。拡散の速度は、面的な広がりになりますので、単位時間内の移動距離ではなく単位時間内の面的な広がり、すなわち【m2/s】で表されます。この広がり速度は、その移動分子が、単位時間内に平均どの程度移動できるか(平均移動速度【m/s】)と、他の移動分子と接触、衝突するなど、あるいは媒体分子に捉えられその後、再び脱着して、それまでの移動方向を変えるまでなどの、平均移動距離【m】のそれぞれ、すなわち両者の積に比例します。移動する分子の数は、当然のことながら、媒体内の移動する分子の濃度に対応します。

 余計なことかもしれませんが、濃度は単位体積内の媒体との質量比もしくは分子数比などで表されることが多いですが、慣用的には媒体の単位体積内の移動する分子の質量などでも表されます。この濃度の定義に様々なものがあるのは、長さの単位に、メートルや尺、ヤードなど様々なものがあるなどと同じく、中学生や高校生が物理を勉強する際に混乱を来たすことがあるのと同様、つまらない、しかし厄介な問題です。横道にそれましたが、拡散を考える際は濃度が高いほど移動する分子が多いことを意味します。拡散現象は、濃度が空間内で均一であれば、結果として拡散は生じません。移動する分子は、濃度に関わらず空間内を移動していますが、移動する分子がどのように移動しようとも、ある小領域から周囲のほかの小領域に出て行った分子の総数と周囲からその小領域に入ってくる分子の総数が同じであることが期待されますから、結果として移動したようには見えません。目に見える拡散が生じるのは、高い濃度の領域と低い濃度の領域があってその間で生じます。高い濃度の領域の分子が、低い領域に移動し、同じように低い領域の分子も高い領域に移動しますが、濃度が低いということは、移動する分子も少ないわけで、結果として濃度の高い領域から、低い領域に分子が移動することになります。新型コロナウィルス感染症の拡散で考えますと、ヨーロッパ某国の濃度が高く、周辺国の濃度が低いと、濃度の高い某国から濃度の低い周辺国に感染が拡散して、某国と同じ感染者濃度になるまで周辺国の感染者濃度が上昇することになります。対抗するには、国境をまたぐ移動を禁止して、拡散移動が生じないようにするのが一番容易でしょう。

 感染症の広がりは、この固体内あるいは液体や気体内の分子の移動に類似して考えることができますが、若干異なります。感染症で考える分子、これは感染者に対応しますが、これには寿命があります。一定時間経過すると感染症が消失してしまいます。ある領域内での感染が均一であり、さらに拡散も完全に抑えられるのであれば、感染には寿命があるので、時間の経過とともに感染は消失します。物理的な分子の拡散と異なり、感染の拡散は、濃度が空間内で一定でも、時間とともに変化し、低下します。また感染の分子は移動した先で、未感染の分子を感染させます。感染した分子の寿命が尽きる前に、未感染の分子と出会えば、その分子を感染させて濃度を高めることができます。物理的な拡散との類推で考えれば、他の移動する分子と次に接触するまで平均移動距離【m】が同じでも、各移動する分子の移動速度【m/day】が変化し、寿命が尽きた分子の移動速度は、ゼロになるということでしょうか。単位時間に移動する分子の移動距離が移動速度ですので、移動速度の速い分子は、単位時間内にやたらに移動して感染分子を増やし、寿命が尽きると移動せず、ほかの分子を感染させなくなるというわけです。このような個々の分子のミクロな動きをマクロ的な視点からとらえて物理拡散や感染拡散のモデルがつくられます。

 このような拡散モデルを考えていると、「接待を伴う飲食店」や「夜の歓楽街」、「混雑する初詣」、等々、感染リスクの高いもしくは高いといわれているところの、感染拡散係数【m2/day】が知りたくなりませんか。日本政府が感染拡大抑制の副作用で生じた経済の落ち込みのカンフル剤として導入したGoToイートやGoToトラベル等で、その副作用として生じる感染拡散係数【m2/day】がどう変化するかも知りたいものです。さらに考えますと、物理拡散ではFicsの法則が成り立ち、濃度の時間変化に直結する拡散フラックスは、濃度勾配と拡散係数の積に比例しますが、感染拡大での感染者の時間変化に対応する感染拡散フラックスに、このFicsの法則は成立するのでしょうか。しないという根拠はなさそうですが。

 ところで物理的な拡散モデルは、連続を仮定しています。連続という意味は、場所が少し変わっても現象は連続的に変化し、突然の大きな現象の変化を示さないということです。保健所が、飛び飛びにクラスター(集団)として存在する感染者集団を追跡できている間は、空間的に連続とみなせるわけではありませんので、連続を前提とする物理拡散のアナロジーで、物理現象と相似形の感染拡散を解析できるわけではありません。しかし、クラスター内では物理現象との相似性は高いでしょうから、この相似性を生かした解析は常に可能と考えられますし、より広域での視点で見れば、クラスター(集団)を感染分子と看做すこともできるでしょうから、物理拡散との相似性は、捨てたものではありません。

 流体での拡散は、乱流拡散と分子拡散の双方が働いて、混合が生じます。乱流拡散は3次元の不規則な渦運動による拡散ですが、拡散速度は、渦の大きさのスールと渦の運動速度の積で評価されます。渦は回転運動ですから、いわば剛体回転で、クラスターに類似させてもよいかもしれません。乱流拡散は、流れの平均流によるせん断により、大きなスケールで渦が生み出されます。この渦は、流れの非線形作用によりカスケード的に次々と3次元的な小さな渦スケールの乱れた渦運動に分解され、最後に、最小スケールの渦運動クラスターまで分解されます。この様々なスケールの渦運動により、乱流により混合、拡散が生じるわけです。最小渦から先の混合は分子拡散です。分子拡散により、最終的に分子スケールまで混合が進ます。乱流拡散と分子拡散のコンビネーションは、感染拡散におけるクラスター拡散と、クラスター内での感染拡大とまた、よく類似します。航空機などによる人の移動は、全世界的に見れば、大きなスケールの渦運動でしょう。鉄道やバスなど、様々なスケールでの人の動きは、様々なスケールでの渦拡散です。最後にクラスター内、いわば一つのコミュニティ内での感染拡散が分子拡散というわけです。

乱流拡散を極めると、世界の感染拡散も見えてきそうです。