第二十九夜 巡る巡る

 「始めあるものは必ず終わりあり」ということで「誕生があれば終焉」があります。この命題の対偶は「終焉がなければ誕生もない」ということになります。「終焉はないが誕生はある」は、「終焉がなければ誕生もない」が真であれば、偽であるということになります。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」と徳川家康の遺訓にあるようですが、これには一本道の遠き道には、誕生と終焉という始まりと終わりがあることが暗示されています。しかし、「遠き道」が円弧を描いていて閉じているように見えたらどうなるのでしょうか。一度、円弧の道に迷い込むと、終わりのない道を永遠に歩き続けることになってしまうのでしょうか。誕生したのち、この円弧を描く長い道に迷い込んでしまうと「重荷」を下ろすことのできる終わり、すなわち終焉のない永遠の道を歩き続けることになるのでしょうか。

 時の流れは、着実です。抗うことができません。逆行することができません。未来に向かって歩き続けるけることしかできません。逆向きに歩くことは、現実世界では難しいのです。過去に向かって進むタイムマシンは不可能と思われます。光速に近い速度で移動する系では時の流れが相対的に遅くなるので、これを利用して未来に到達できることは科学的に証明されたようです。到達できた未来から見れば、過去が未来に現れるわけですから、この現れた過去に未来が入り込めば、未来から過去に移動することも可能と言えるでしょう。しかし、この原理を使って、過去から未来にたどり着いても、未来にたどり着いた人が再び過去の世界に帰ることは難しそうです。浦島太郎が未来にたどり着いて、玉手箱を開けても過去の世界に帰ること、時間を逆方向に進めることは、できないようです。

 未来に向かって増大し続けるエントロピーは、系外からエネルギーを供給すれば、減少させることができるので、あるいは時の流れもこの我々が存在する宇宙の系外からエネルギーが注入されれば、逆行させることができるかもしれません。本当かな? しかし、これを想像することはなかなかに難しい気がします。徳川家康が言及した「重荷を負うて遠き道を行く」人々は、重荷に耐えかね、これを下ろすため始まりに向かって逆行することはできなかったのでしょう。「遠き道」は終わりに向かってしか、歩けないものなのでしょう。現代風に考えると、多分、重荷を背負って歩く遠い道は、終わりまで続く「下り坂」で、逆行しようとすると更にとてつもないエネルギーを系外から供給されないとできなかったと考えるのが良いかもしれません。ところで、悪事を働き、地獄に落ちるしかない人は、この「下り坂」、三途の川で終末を迎えるのではなく、途中で永遠に循環する円弧の道に分岐してしまえば、「重荷を負う」ことは継続しなければなりませんが、恐ろしい終末を迎えることを避けることができるかもしれません。「遠き道」が一本道だけとどうして思わなくてはならないのでしょうか。「遠き道」に分岐があって、永遠に循環する円弧の道があるかもしれません。

 ただ、「遠き道」の坂を下り、三途の川で終わりを迎えるのも、永遠に循環する円弧の道に分岐するのも、引き返すことはできない下り坂道ですから、運命としてこれに従うしかありません。円弧の道には、三途の川に至る坂道より多少厳しいかもしれません。永遠に循環する道であれば、多少の上りや下りはあるかもしれませんが、繋がって閉じているので、平均的には平たんの筈です。下り坂のように重力を利用して楽して歩くことができません。ただ平坦ですので、場合によっては逆行できるかもしれません。気まぐれに順方向に歩いたり、逆方向に歩いたりする自由は、円弧の閉じた道では許される気もします。

 川の流れは、山の麓の源泉から発生し、やがて海に流れ込んで終わりを告げます。この間の落差のおかげで、川の水が逆方向に流れることはありません。始めと終わりがあり、それを結ぶ営みがあります。こうした川の流れですが、途中に落差のない湖があった場合は、どうなるのでしょう。湖に流れ込む落差があるので、川の水が湖から上流に逆流することはできません。川の水は、ある程度の運動量をもって湖に流れ込んでいますから湖の中でもその運動量を奪われない限り動き続け、湖の中を循環し続けることになります。

 湖面より低い水面を保つことができる川が湖に接続していれば、この落差により、湖の中をめぐっていた水は、この川に流れ込み、再び、終焉の地である海に向かって流れることが許されます。湖という系を考えると流入のみがあり、流出のない永遠に循環する流れは存在しません。やはり、「重荷を負うて遠き道を行く」人々が永遠に続くと思われる循環する円弧の道に迷い込んでも、いつかは、終わりのある一本道にたどり着き、終焉の地で重荷を下ろすと考えるのがよさそうです。湖の水がいつか流れ出ることの比喩は「質量保存則」の公理を、「遠き道」を行く人々に当てはめた結果です。現代人は、「科学信仰」に折伏されており、「定常状態で流入があれば対応する流出がある」という公理から抜け出ることはできません。

 一方向の流れが、流れ方向に物や熱などを運ぶ能力を測ることはそれほど難しいことではありません。流れ方向に検査面、(関所のようなものでしょうか)、を設けて、流量を測ってやればよいわけです。上流と下流に2つの検査面を用意し、それぞれの流量を測定すれば、2つの検査面間で発生や消散がない限り、流量は保存されます。流れの中に、物や熱があっても同様です。検査面で、流入する物や熱を測定してやれば、ものや熱や運ぶ能力が評価されます。では、流れが一方向ではない場合は、どうなるのでしょうか。容器の中の流れや室内の気流は、一般に一方向の流れであることを期待できません。容器の中や室内では、これに流入出する流れの他、循環流や、様々な小さなスケールの渦が生じ、複雑な輸送性状が出現します。容器や室内の特定の部分に、仮想的な検査空間(直方体形状の空間)を用意し、この検査空間を出入りする流れが持つ輸送能力を評価することは可能です。設定した検査空間を構成する各仮想面で、その検査面を通過する、流量などを評価すればよいわけです。流入、流出する流量や乱流フラックスを3次元の複雑な流れ場で測定することは難しいですが、不可能ではありません。流体シミュレーションCFDを用いて解析すれば、測定に比べ容易にこれらの諸量を評価することもできます。

 ただし、一方向ではない3次元的な流れでは、問題が生じます。上流と下流の区別がつかないのです。一方向の流れでは、流れの輸送方向は上流から下流に向かって生じ、下流の物や熱が上流に遡及することはありません。しかし3次元の流れでは、検査空間から流出した物や熱が検査空間より大きなスケールの循環流により、再び検査空間に流入し、いわば下流の影響が上流に遡及します。この検査空間より大きなスケールで生じる循環流などによる輸送の影響を評価できなければ、循環流のある場での流れの輸送能力を正しく把握できたことになりません。ではどうしたら、この検査空間より大きなスケールの循環流が再循環することによる輸送能力を評価すればよいのでしょうか。

 再循環による輸送能力の評価には、様々な方法があると思われますが、筆者は流れにトレーサーを定常的に注入し、仮想空間に再帰して再び空間内に流入するトレーサー量と空間から流出するトレーサー量を評価し、これを用いて(平均)再循環率を定義することを推奨しています。(平均)再循環率は、Visitation Frequencyと関係づけられます。Visitation Frequencyが1であれば、(平均的に)再循環はなし、完全な一方向性流れです。Visitation Frequencyが、2であれば、対象とする検査空間を通過する流れは、平均して1回再循環し、2回この検査空間を通過することを意味します。平均の意味は、設定した仮想的な検査空間を通過する流れにおいて、一部は再帰することなく流れ出るものもあり、また一部は何度も何度も繰り返して再帰するのもあるので、これらを平均して評価することを意味します。この方法では、検査空間に注入したトレーサー量と検査空間に流入するトレーサー量が分かれば、簡単な数列の極限計算で、この(平均)再循環率もしくは、Visitation Frequencyを求めることができます。詳細は、筆者の論文などを参照していただければと思いますが、Visitation Frequencyは{1+(検査空間に流入するトレーサー量/検査空間に注入したトレーサー量)}になります。(平均)再循環率が(検査空間に流入するトレーサー量/検査空間に注入したトレーサー量)ということですね。流体シミュレーションCFDを用いて解析すれば、これらの諸量は容易に評価できます。

 「重荷を負うて遠き道を行く」人々が、永遠に循環するかもしれない円弧の道に迷い込み、どれほどの回数、循環しなければ、本来の一本道に出られるかを知ることが出きれば、どんなにか、安らかになるでしょう。容器や室内の流れの中で、想定した検査空間内を循環流がどれほど再帰すれば、下流に流れ去るのかを知ることの意義は深いと考えています。ちなみに、換気・空調される一般的なオフィスの居住域(人のいる範囲で床から1.6mぐらいの高さまでの空間)のVisitation Frequencyを筆者が調べてみたところ、5−6回という数字を得ました。居住域で放出された汚染物質は、室内の大きな循環流で平均5−6回、居住域に再帰し、室外に排出されました。都市のStreet Canyon (ビルで両側を囲われた道路)の歩行者領域では、風通しが悪そうな場所でも2回未満でした。屋外に比べ室内の換気がどの程度悪いのか、このVisitation Frequencyが良く示していると考えています。何回循環したらこの循環から逃れられるのか、様々な状況を考えることは面白いと思います。人生で考えるのであれば、差し当たっては、受験の際の浪人年数でしょうか。