第二十七夜 後光が差す

 「後光が差す」という言葉があります。「後光が差す」は「相手に対して『本当にありがたい』と思うような状況、相手が『神々しい』と拝みたくなるような状態」で使う言葉のようです。「後光」は日本語だけでなく英語にも対応する言葉があります。”halo”と言います。可算名詞ですので、”a halo”、”halos”と、複数形があり、一つ、二つと数えられるようです。「後光の差しているキリストの絵」を英訳すると” a painting of Christ with head surrounded by a halo”となります。ヨーロッパの宗教画を見ますと聖人には後光が描かれているものが多くあります。日本のお寺にある多くの仏像には、光背があり、後光が差しています。少し飛躍するかもしれませんが、日本語だけでなく英語にも「後光」という概念があるということは、きっと「後光」は、人類に共通にする概念なのでしょう。「後光」という概念が、広く人々に受け入れられているということは、多くの人が実際に「後光が差す」様子を実際に目で見て、実体験しているのではないかと思いたくなります。

 筆者は、「後光」とは、光ではありますが、空気の流れがあって存在する光であって、「後光」の本質は、空気の流れだと思っています。我田引水の嫌いはあるかもしれませんが、我慢して聞いてください。

 人が代謝により熱を生産していることはよく知られていると思います。成人は、1日当たりおよそ2000kcalの栄養をとっています。もちろん体に吸収されず、便として排出されてしまう栄養素もあるでしょうが、毎日2000kcalの栄養を取り、代謝によりそのほとんどを熱の産出に使用しているものと考えられます。2000kcal/dayは、およそ100Wの仕事率になります。人は100Wの発熱体です。体温を常に一定温度、すなわち37℃に保つためには、この100Wの産熱を常に環境中に捨てなくてはなりません。代謝は生命現象の本質です。生きている限り代謝により産熱し、産熱した分を環境に捨てなくてはなりません。人の周りの環境は、この100Wの産熱を捨てるため、体温の37℃より、低い温度ポテンシャルでなければなりません。もちろん産熱を水蒸気潜熱で捨てることも可能です。体表面などで、人体の液水の一部を水蒸気に相変化させ、この相変化潜熱で捨てることも可能です。人の周りの環境温度が、体温より高くてもこの相変化潜熱を利用すれば、産熱を環境中に捨てることも可能です。ただし、これは体から相当量の水分が奪われることになります。水1リットルの水蒸気潜熱を550kcal程度と見積もると産熱をすべて水蒸気潜熱で捨てるには、1日当たり3リットルの水を水蒸気に変換して捨てることが必要になります。現実的には、こうした環境下で人が健康に生存することは難しいように思われます。

 人の皮膚表面温度は、37℃の体温より低いことが必要です。体の中の筋肉や内臓などでの産熱を人の外部の環境に捨てるには、その境界となる皮膚表面温度は、体温より低く、環境の温度はさらに低くなければなりません。熱を運ぶには温度勾配が必要で、温度勾配がなければ熱移動も生じません。一般に人が、熱くもない寒くもない中立と感じる際の平均皮膚温度は33.3℃程度と言われています。この際、人がほとんど裸であれば、人の周りの環境温度は28℃程度の必要があります。少しフォーマルな服装をしていれば、26℃程度以下でないと、代謝による産熱をスムーズに環境に捨てられないようです。

 環境中への熱の排出は、呼吸による排熱と皮膚からの放熱で行われます。しかし後者の寄与が大きく、人の産熱の90%程度は皮膚からの放熱になります。皮膚から環境への放熱は、水の相変化による放熱もありますが、人が暑くもない寒くもないと思える環境では、相変化を利用した潜熱放散の寄与は10%程度以下が良いようです。残り80%の皮膚からの環境への放熱で、環境温度が26℃程度の快適な範囲では、放射による放熱が50%程度、空気への対流熱伝達による放熱が30%前後程度と言われています。つまり、人は、環境中の周辺物質表面との温度差を利用して赤外線放射放熱でおよそ50W捨てています。残りの30Wが、人の周りの空気への伝熱です。言い換えれば、人の周囲の空気は、常に30Wで加温されています。この加温で熱上昇流が形成されます。すなわち人は、周辺空気を加温し、その熱上昇流に囲われているのです。

 熱上昇流は、周辺の空気より温められて密度が小さくなります。また周りの空気と混合して密度が変動します。人は、この密度変動流を見ることができます。陽炎などを思いだせば、納得していただけると思います。密度変動流に光が当たると密度変動に伴う屈折率の変動により、光が揺れて目に見えます。シュリーレンのように光の干渉を上手に利用すればさらにくっきりとこの密度変動流を見ることができます。後光の正体は、この人から立ち上がる密度変動する上昇流に蝋燭などの光源からの光が影響されて、これを見ている人々が実際に陽炎のように見えることと、筆者は解釈します。演壇の講演者が背後からのライトに照らし出されると、見る角度によっては、この上昇流が可視化され、後光が差すのです、きっと!!

 人がこの自分の代謝による産熱で形成される熱上昇流により囲われていることは、「後光が差す」現象だけでなく、呼吸する空気がどこから来るのか、どのような空気なのか、といったことに関係します。この熱上昇流は、20~30cm/s程度の速度にしかなりません。人の周りの空気がドラフトを感じるほど強くなるとこの熱上昇流は、人から剥がされて、その風の方向にたなびいてしまします。結果として、その人はそのドラフトの空気を吸入し、その気流中に呼気を排出することになります。風下の人は、この上流の人が排出した空気を吸うことになります。しかし、ドラフトが感じられないほどの静穏な状態であれば、人は、熱上昇流により足元から胸元に上昇してくる空気を吸入します。また、吐き出した呼気は、その熱上昇流により部屋の上部に流されます。吸う空気もまた吐き出した空気も、他の人の影響をあまり受けないし、他の人にあまり影響を与えないのです。

 ドラフトを感じるような強いエアコンの気流は、もともと過剰に人を冷却したり、加温したりするもので、よい室内環境とは言えません。ドラフトを感じないような静穏な環境ができるようエアコンの気流は設定される必要があります。そうした時、人は自分の足元からの空気を吸入し、吐き出した呼気は部屋の上部に運ばれます。その人と向き合う相方や近接する人の呼吸空気に大きな影響を与えないのです。

 室内のエアコンの吹き出し気流は、室内の人すべてが、自らの熱上昇流に包まれ守られた状態、すなわち後光がきちんと差す条件を満足するように、設定されるのが良いと考えます。