第二十五夜 アントレプレナー

 月に一夜づつ進む“千夜一夜物語”も3年目に突入し、今回で、第二十五夜を迎えました。これを記念して、少し硬い話をしてみます。読者の皆様は、アントレプレナー(entrepreneur)という言葉を聞いたことがありますか?2020年の春は、新型コロナウィルスによる感染爆発が世界的に広がり、日本ではロックダウン(都市封鎖)やクラスター(小規模集団)、オーバーシュート(行き過ぎた上昇)、ステイホーム(外出自粛)、などなどと日頃、聞きなれない言葉がその道の専門家から飛び出し、便乗して一癖も二癖もある政治家が使いました。若く柔軟な頭を持った人はともかく、筆者など老境に達してしまった人々に、こうした外来語には違和感があります。日本語による解説がなければ、直ちにその言葉の意味するところを理解することができなかったと思います。ここは日本なんだから日本語で言って欲しい。「同じ概念を表す日本語もあるでしょう」としばしば思いました。明治の開国以来、“舶来品”信仰が強い日本人には、日本の言葉よりは外来語で表現すると、専門的で(高級で)、皆に尊重されやすいという悲しい習性があります。日本人には、まだまだ澱のように残されているようです。

 “舶来品”という言葉は現在では、ほとんど死語のようです。気取った言い方だそうで、小説などの中でしか、使われないと、辞書に書いてありました。驚きました。筆者の年代ですと祖父母や両親が、良く使っていて、筆者自身も“舶来品”の高級万年筆や腕時計に、強いあこがれを持った時期があったことを思い出します。日本のモノづくりやデザインが世界的になり、日本発のブランドが世界に通用するようになると、“舶来品”などといった概念は、日常的に使われなくなったのでしょう。ただ、学問や専門技術者の中には、まだまだ、外来語を多用する習慣が有ります。キーワードは外来語を利用し、議論は日本語、解説文も日本語という習慣は長く残るかもしれません。これは学問や専門技術の中では、“舶来品”信仰が強いということではなく、情報の国際交流が進むと、どうしても世界共通語ではない日本語で情報交換を行うと、情報伝達の拡散スピードが遅くなるので、キーワードだけでも、世界共通語を使うということかもしれません。“流れの数値解析”などというよりは、“Computational Fluid Dynamics (CFD)”と言っていた方が、筆者にとっても便利です。もっぱらCFDという言葉を使っています。

 本題にもどります。アントレプレナー(entrepreneur)という言葉は、日本語では“起業家”が対応します。つまり自ら事業を興す起業者という意味です。通常、ベンチャー企業を開業する人を指すようですが、ものの本によれば、経済の革新に繋がるイノベーションの担い手として、イノベーションを起こす人、イノベーターのことを指すともいわれています。

 大学では、良く、アントレプレナー教育ということが語られます。各大学のホームページなどを検索していただければ、様々な大学が各様にアントレプレナー教育を行っていると宣言しています。これは大学における人材育成が、新たな知を生み出すだけではなく、新たな知の創造を社会に有効に反映させることを重視する姿勢を示すものと思います。

 イノベーション(innovation)とは、ものごとの新しい結合、新機軸、新しい切り口、新しい捉え方、新しい活用法を導き出し、創造する行為と言われています。単に新しい技術を発明するだけではなく、新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす、人や組織、社会の幅広い変革につながるものを意味します。アントレプレナー教育に戻ります。アントレプレナー教育は、次世代の経済産業界を担う人材育成を目的として、起業家としての在り方を学ぶものです。最近はもっと幅広く、起業家の生き方や精神を学ぶことで、社会における自分のあり方や困難に対峙する力を学ぶことを指し示すようです。起業家としての在り方への学びは、大学に限らず社会の様々なチャンネルで習得が可能です。日経新聞に「よいしょ」をするわけではありませんが、同紙に連載されている「私の履歴書」などは、極めて有用なアントレプレナー教育の一つとして利用できます。自身がそのように学んだと広言している人を何人か、知っています。

 大学ではアントレプレナー教育の一環として、一般的なプレゼンテーション技術と平行して、ピッチ(pitch)技術を教えることも、多いと聞いています。ピッチは、野球のピッチに繋がる「投げる」ということですが、少数の相手に対して、ごく短時間で新規のビジネスなどのアイデアを売り込む短いプレゼンテーションを意味します。「自分は何者か」、「何の問題を解決するのか」、「解決策(サービス)は何か」、「市場規模(現状と将来)はどれくらいか」、「誰(チーム)が行うか」、「今後の計画は何か」、を専門用語も使わずか数分程度で伝えます。整理されていない大量情報がスピード重視で伝達される現在においては、必須の技術です。そう言えば、日本の代表的な自動車会社のひとつであるホンダでは、創業者の本田宗一郎が現役の社長だったころ、社内の稟議書はA4用紙、1枚のみという逸話が思い出されます。

 CFDに戻ります。CFDは初期値、境界条件のセットが与えられれば、短時間でその流れ性状が詳細に評価できます。アイデアが図面化される(具体化される)と、そのアイデアの性能はすぐさまCFDにより具体的にかつ信頼性を確保して評価できます。人は、評価可能な“性能”でサービスやものの価値を量ります。必要な性能が満足され、付随する性能が高ければ、そのサービスやものに価値を認め、購入を決めます。サービスや物の提供者は、必要な性能などを提案もしくは与えられて、その性能をリアルの世界でも実現できることを証明し、購入者はこれを信頼して代価を支払うわけです。CFDは、サービスや物の提供が図面化(具体化)したアイデアを、リアルの世界で実現されることを確証をもって証明するツールです。CFDは現在、成熟した技術になっていると言えますが、しかし、アイデアを図面化(具体化)して、CFDに繋ぎ、これをリアルの世界で実現する技術は、まだまだ発展途上です。イノベーションのチャンスは、このアイデアをデジタル技術により図面化(具体化)して、リアルの世界で実際のサービスやものとして実現する技術の革新的な展開として、まだまだ我々の前に広がっています。