第二十三夜 システム

 現在の若い人たちは「システム」という言葉を聞かれてどのような感慨を持たれるのでしょうか。IT産業を外から見ている筆者などは、 「システム」というと、世間の人は略称SEと呼ばれる「システムエンジニア」と呼ばれる職種の人々を思い出すのではないと想像します。 日本の「システムエンジニア」はソフトウェア開発やその保守にあたる人々です。いつも過剰な仕事に喘いでおり、吸血鬼のように日の光 を恐れ、青白い顔をしていて、「鬱」病になる寸前で、真っ黒なブラックな職場で奴隷のように働かさられている・・・。といった職業イ メージかもしれません。ご不快に思われた方、申し訳ありません。ごめんなさい。ただ、このイメージは、筆者のものではありません。筆 者の周辺で息子さんや娘さんが、これから就職しようとしている親御さん達が、SEに対して抱いているイメージを書いたまでです。働き方 改革で日本のSEの労働生産性が大きく向上することを願うばかりです。

 「システムエンジニア」は、和製英語です。日本人の抱くイメージに対応する英語はありません。英語圏では、これに近い言葉で「シス テムズ・エンジニア」と呼ばれる職域があるそうです。これは文字通りシステムズ・エンジニアリング(システム工学)に関わる技術者を 指すもので、日本の「システムエンジニア」とは重ならないそうです。英語である「システム」という用語は、学術的には「相互に影響を 及ぼしあう要素から構成される、まとまりや仕組みの全体」、工業的にはJIS Z 8115で「所定の任務を達成するために、選定され、配列され、 互いに連係して動作する一連のアイテム(ハードウェア、ソフトウェア、人間要素)の組合せ」と定義されています。日本で使われるよう なソフトウェア開発に限定されていませ



ん。様々な分野で使われています。システムはその周囲の環境とは境界で区切られて区別されていて、多



くの場合、周囲の環境からの働きかけ、「入力」をもらって、自己の状態もしくは周囲の環境に働きかけをする「出力」を持ちます。

 人は、多分この“入力と出力を持つ「システム」という概念”を生まれたときから認識しているのだと思います。例えば、“我が子に対する 母親の授乳”というシステムは、自分の赤ちゃんが“泣く”という入力で、“授乳”という出力を出します。人の世界、あるいは自然の営みの ほとんどは、この入力と出力を持つシステムで構成されるという気がしてきます。もちろん入力に対して出力が確定的に決まっている必要はあ りません。入力に対して出力は確率的に変化することもあるでしょう。全くの不確定的な出力であっても、出力の性状はホワイトノイズという 統計的性質を持っているということもありうるでしょう。

 これに気付くと、むやみやたらにシステムを当てはめてシミュレーションをしたくなります。皆様もシミュレーションしたくなりませんか。 筆者は、小説家は一種のシステムズ・エンジニアだと思っています。中学の時、高校受験の勉強の合間に、フランスの大衆小説家であるアレク サンドル・デュマの翻訳を文庫本で繰り返し読みました。同じ小説を10回以上読んだと思います。今でも登場人物をはっきり覚えています。特 にモンテ・クリスト伯や三銃士はお気に入りでした。登場人物は、すべてシステムです。三銃士であれば、システム「ダルタニャン」、システ ム「アトス」、システム「ミレディー」、システム「コンスタンス」、などなどです。それぞれのシステムが、様々な入力により、様々な出力 をだして、全体システムが、展開していきます。アレクサンドル・デュマは、椿姫を書いた息子と違い、女性にだらしない浮気者です。従って (?)、子供が読むにはふさわしくない(?)場面も良く出てきます。そこがまた良いのでしょう。筆者もまだ中坊(中学生のこと)でしたか ら、初心で、成人男女の仲のことは詳しくありませんでした。今から考えれば、中坊が読んでも理解不能な場面もあったように思いますが、意 味を知るため親に訊ねるなどというバカなことはせず、妄想を楽しんでいたと思います。それにしてもデュマは、シミュレーションが大好きだ ったに違いありません。今から考えると、日常の色恋の演習を自分の小説の中でやっていたのでしょう。などと書いていると突然、谷崎潤一郎 を思い出しました。たとえば、痴人の愛の中での「譲治」さんと「ナオミ」、今でも忘れられませんが、谷崎のおとぎ話でしょうか。

 システムに関しては、入力と出力の関係を詳しく分析すると、システムの性状も次第に理解できるようになり、入力と出力の関係がはっきり します。システムが理解されると、必要な出力を得るためには、どのような入力が必要かも、理解されてきます。いわゆる逆解析です。小説家 は好き勝手に様々な人間システムを創造して、好きな環境でそれらのシステムを動かして、そのシミュレーション結果を文章化して、発表して います。結構、うらやましく思います。筆者も無性にやってみたくなります。

 そんなわけで、小説家はきっとコンピュターシミュレーションが好きで好きでたまらない人種であって、我々、流体シミュレーション屋さん と変わりない人種だろうと思っております。