第二十夜 因果を探る

 実務に詳しい理系の方であれば、“線形システム”という言葉に懐かしさを感じるかも知れません。システムは、入力と出力を持ち、 入力が定数倍されると出力も定数倍される。入力が複数要素の和であるなら、出力もそれぞれの要素に対応する出力の和になるというも のです。日常の物理現象の多くは線形システムをなします。熱伝導は線形システムです。熱伝導方程式は、熱量保存則から導かれますが 、空間もしくは境界での熱の発生や消散を表す項と空間中の熱輸送を表す項でできています。熱輸送を表す項は、空間の中での熱の移動 を表しますが、熱の発生や消散には寄与しません。熱伝導では、熱伝導の生じる空間の形状のほか、空間に流入流出する熱流などの位置 や量を表す境界条件、空間中での熱の発生や消散の生じる位置や量を表す条件を決めれば、熱伝導法方程式の解として、空間内の温度分 布、熱流性状が求まります。特に空間形状が固定されていれば、流入出する熱量や発生消散する量や位置を入力とし、空間内の温度分布 、熱流分布を出力とする“線形システム”を形成します。入力の量が乗数倍、もしくは乗数和で表現されれば、出力となる空間各地点の 温度、熱流も、乗数倍、乗数和となります。なお乗数和、乗数倍の前提として、温度や熱流はゼロという点(原点)を通らなくてはいけ ません。ですから温度の単位に摂氏を使うと、線形システムの利用という点では、ひと手間掛かります。

 この随想の読者の皆様は、流体シミュレーションになじみのある方が多いと思います。線形の微分方程式が線形システムを構成し、こ のような線形関係を持つことに、違和感はないことと思います。流体の支配方程式は線形ではありませんので、流体現象は線形システム とはなりません。しかし、支配方程式を近似的に線形方程式として解析する様々な近似解析法があり、工学的にはこの近似解法が有用で あることが多く、流体解析や流体シミュレーションに慣れ親しんだ方も、線形システムにお世話になることは多いと思います。

 線形システムに限ることはないのですが、入力と入力に対応した出力を有するシステムというボックスは実に魅力的な考え方と思いま す。ボックスに色を付けてブラックボックスというボックスやホワイトボックスというボックスもあります。読者の皆様も聞きなれた言 葉と思います。ただ、航空機事故の際、事故原因を特定することに役立つフライトレコーダーやボイスレコーダーに、ブラックボックス という一般名称がついていますが、ここで言っているボックスとは異なります。あくまでブラックボックスもホワイトボックスも入力に 対応する出力があり、入力と出力の対応に関して、その構造を知ることができないものがブラック、知ることができるものがホワイトと いうことで了解してください。ブラックボックスと言ったって、あり得る入力に対応するすべての出力を調べてしまえば、中の構造はわ かりませんが、入力出力関係は既知で、複製を作成して利用することも可能です。工学的探査は、このブラックボックスの探査に極めて 似ています。

 筆者の専門分野では、人と環境や人の相互関係など、機械器具や電気器具とは違って、もっと厄介なものを相手にしているので、当然 、構造の解析は後回しにされ、事象をブラックボックスに当てはめて、入力と出力の関係性を探る研究が、ほとんどとなります。快適性 が人の生産効率に与える影響、快適性が人の創造力発揮に与える影響など、今、筆者の専門分野では多くの研究者が取り組んでいますが 、基本は、操作可能環境要素を振ってみて、人の生産性や創造性を出力として出力変化量を調べ、入出力関係を調べることが基本です。 しかし、このような研究分野で努力している人たちを差し置いて、筆者が簡単に講釈すると叱られそうですが、快適性が人の生産効率や 創造力発揮に与える影響、すなわち感度は知れています。もっと大きく作用する因子がいっぱいあります。

 最近ははやりのディープラーニングも、もちろんこのブラックボックス解析です。何が入力で何が出力かもわからないビッグデータか ら、様々なブラックボックスを探し出して、その関係を定量化しています。ただ、この入力と出力の関係が時間とともに変化してしまう と、工学的にはなかなか厄介です。もちろん時間的変化するブラックボックスの解析だってディープラーニングは、簡単にこなしてしま うでしょう。

 入力と出力の関係は、因果の関係として理解できると、人はとても喜びます。原因をシステムに入力すると、結果が出力される。期待 した結果を得る原因や、期待しない結果を得ない原因が分かれば、たとえシステムがブラックボックスでも、また、中の構造が分からな くても、とにかく役に立ちます。原因のコントロールで日々を愉快に過ごせます。人は本質的に、この因果の関係を理解し記憶するとい う強い本能があります。今日、朝、出がけに奥さんにどんな言葉を入力すれば、夜、帰宅したときの奥さんの出迎え出力がどうなるか、 知りたい人も多いでしょう。個別の人間関係で、ディープラーニングによる解析を一般化して、何が入力で何が出力であるかを明らかに して、円滑な人間関係を築きたいものです。

 昨今、AI(人工知能)の研究分野では、単なるビッグデータの統計解析ではなく統計解析の中から因果を抽出し、説明可能とする研究 が進んでいるそうです。相変わらず、情報分野などの解析が多いようですが、円満な家庭や円満な同僚、上司と部下の関係、円満な地域 社会を築くため、家庭内の人間関係や職場の人間関係など個人、個人の顔が見える分野の研究も進めて欲しいものだと思います。小説を 読むだけで十分と思われますか?