第三十四回 空調設計とCFD

 CFDが建設業で最も活用される分野の一つに空調・温熱解析があります。 筆者のT建設時代の思い出深い案件の一つにも京都府K市にある某施設(以下ガレリアと呼びます)の空調・温熱環境解析があります。本施設は幅 25 m,長さ 200 m,高さ 18 m の大空間を有し,南面の大半がガラスで覆われていました。当然ガレリア内は熱的に厳しい環境になることが予想されるため詳細な空調の検討と合わせて日射を含めた風と気温の屋内外同時解析を行い、ガレリア内外の体感温度(SET*)の算出・評価を行いました。このような解析は今では特に珍しいものではありませんが、当時(27年前)では解析事例が少なく、その解析手法の確立&適用により空気調和衛生工学会賞(振興賞)を受賞出来ました。 しかし、筆者にとって本案件が特に思い出深いのは別に理由があります。

 本件の空調設計には(故)井上宇市先生が関与・担当されていました。

 井上先生はいうまでもなく我が国の空調設計の礎を作られた先生でまさにこの分野の第一人者でした。代表作として南極昭和基地にはじまり、国立屋内競技場(代々木体育館、)東京カテドラル聖マリア大聖堂、大阪万博博覧会広場、東京海上火災本社ビル等があります。著書も大変多く、中でも空調ハンドブックは空調設計者のバイブルともいわれています。また、現在の空気調和衛生工学会でも「井上宇市賞」が設けられています。

 先生は東大工学部船舶学科を卒業された後、大成建設に7年勤められ、その後早大建築学科で建築設備に関して長く教鞭をとられました。筆者も学生の頃、井上先生の講義を受けました。井上先生に関する最も有名な話のひとつは、(筆者も良く覚えていますが)、先生の講義は左手に色チョーク、右手に白チョークの「二刀流」で黒板に図や数式等を高速で書かれていたことです。学生は必死にそれを写し取ろうとしますが内容の多さと講義のスピードはまさに学生泣かせで筆者などはとてもついていけませんでした。また先生はその当時でも朝の3時まで勉強されていると周囲から聞かされていました。

 先生は1989年早大教授を退官され翌年大久保のほうで設備事務所を開かれていました。

 それまで筆者と先生との接点は学生時代に受けた講義だけでしたが、偶然本案件で筆者は井上先生と一緒にお仕事させていただくことになりました。同じ環境・設備系とはいえ、空調設計が特に専門でもなかった筆者が井上先生にCFD解析結果をご説明しながら設計を進めていくという流れになって行きました。最初は先生がCFD結果をご覧になってどのようなご意見を言われるかドキドキ・びくびくしていました。先生の事務所でCFD結果を最初にご説明した際先生は「おーー、そうか、すげーな。」と結果に驚かれた様子でした。余談ですが先生の事務所では休憩時次々と缶ビールを出していただきました。が、つまみが全くないのには少し戸惑いました。。。

 空調設計、環境設計、CFD解析は当然、密接な関連はありますが、同時に埋めにくい隙間(距離)もあります。筆者もT 建設勤務時代4つの大学で非常勤講師として、退職後は一つの大学で教授として環境設計、空調設計の講義を行いました。しかし、これらの講義内容(学部)にCFDは全く入れていませんでした。それはどの大学においても同様と思われます(大学院ではCFD専門を講義する場合もありますが)。民間のゼネコン設計部や設計事務所でも一般の空調・環境設計者がCFDを使うことは少なく、CFD専門セクション内で対応しているようです。

 井上先生を驚かせるパワーをもつCFDが広く普通に空調や環境の講義内容に入らず、民間でも設計者に対しても必須ツールとならないのはなぜでしょうか?設計にはプライオリティがありマクロ視点(全体負荷や機器容量設定)がメイン(最終目的)で、CFDが得意なミクロ視点(気流や熱の全体的&局所的分布)はサブと位置付けられていることが一因に思えます。空調設備の授業や業務には長い歴史と伝統があり容易には変えられないのでしょう。またCFDは適用範囲が広く、奥行きも深い技術のため一般の設計者には敷居が高いと感じる側面もあるようです。しかし、時代は進み空調設計においても最近は詳細な環境評価が求められる傾向にあり、両者(空調設計&CFD)の距離は縮まりつつあるようにも見えます。