第二十七回 ~火災&排煙シミュレーション(その2)~

 最近、コロナの影響で旅行する機会がめっきり減りましたが、筆者はホテル等への宿泊時には火災時の避難経路の確認を入念に行います。建築環境を専門にしていた筆者が火災や避難にも研究の手を伸ばしたのは、シミュレーションという共通軸があったためです。(火災にも避難にもシミュレーション技術が必須です。)前回のコラムではCFDを用いた火災煙の解析事例についてお話しました。この技術は2層流では解析が困難な大空間やアトリウムが主なターゲットでした。筆者が関与したもう一つの火災&排煙関連技術として「階段加圧システム」というものがあります。これは一般的な中高層建築が検討のターゲットとなります。

 ある階のある室内で火災が発生した場合、室内の人間はまず廊下に出て、避難階段を目指します。火災室内で排煙しきれなかった煙も廊下を伝わってほぼ同じ速度で人間を追ってきます。そこで階段室が加圧されていれば、廊下内を伝わってくる煙は圧力差の関係で階段室内へ侵入できず、階段室に逃げ込んだ人間は安全が確保できるというコンセプトです。

 (細かいことですが、加圧する空間は階段室ではなくその前室(附室)の場合もあり、その場合、階段は特別避難階段となります)この階段加圧システムは階段室を構成する縦シャフト内の圧力分布形成という視点で見た場合、なかなか味があるテーマと言えます。

 階段加圧のコンセプトに基づけば火災時はいずれの階においても廊下より階段室内の圧を高める必要があります。各階の階段室扉が常に全閉であれば問題はシンプルですが、現実には各階で避難しようとする人間により不規則な扉開閉が繰り返えされ、そのたびに縦シャフトである階段室内の圧力バランスが変化します。従って、どこの階の扉が開放されても遮煙効果が発揮されるように階段室シャフトへの給気量や給気口の位置を設計する必要があります。しかし、加圧しすぎると、廊下から階段室への扉が開かない(開きにくい)という扉開閉障害が発生し問題はさらに複雑になります。

 このような階段加圧の効果や問題点を把握するため、模型実験や実測を何回か行いましたが測定のみで階段室内の空気流動現象を詳細に把握することは困難でした。そこで実験や実測と合わせてCFD解析を実施しました。CFD解析では扉開閉に伴う縦シャフト内の圧力分布や気流変化の全体像をより詳細に把握することが出来ました。これらの検討は空気の流れと圧力形成という「流れの基礎問題」のひとつと言え、階段加圧という一見「環境」との関連性が薄いと思われる分野においてもCFD技術が貢献できることを再認識した事例でもありました。

 もう一つこの分野で重要なのは「避難シミュレーション」です。火災(に限りませんが)では建物の被害ではなく人命が最優先されます。従って人間が火災&煙から逃げ切れるかどうか、つまり、火災発生から避難完了までの時間が最重要ポイントとなります。そこで避難シミュレーションが行われますが、従来では、人(群集)の避難行動は均質な人間が連続している連続体としてモデル化されていました。しかし、現実には子供、老人、車椅子等災害弱者の考慮が必要です。そこで、近年は人間の避難行動を連続体モデルではなくマルチエージェントモデルという一人ひとりの特性を加味した解析が行われています。このシミュレーションは大変興味深く、球体等で表現された一人ひとりが、群衆となって扉に移動しようとしたり、その中の数名が別の避難経路を探そうとしたりする様子が動画で再現できます。このようなシミュレーションを観察しているうちに「火災発生→煙拡散→人間避難」という一連の挙動を解析し、ビジュアルに再現できる避難計画技術が有効と感じるに至りました。そこでこれら火災&避難の一連の解析と表現のVR化を検討しました。数年後、ある大コンペでトンネル内の火災車両から駅舎内の安全空間までの避難ルートをVR上で検討し駅舎設計にも適用したこともありました。

 このように環境や構造と共に建築における一大分野でもある「防災(排煙・避難)分野」においても「流れ」と捉えられる関連事象が数多くあります。それらを解析&表現できるCFD技術やVR技術は今後本分野においても一層幅広く展開していくものと期待されます。