第二十一回 ~幻の大空間とVR~

 Sスーパーアリーナの解析を行っている頃、これを更に上回る規模の大ドーム建設プロジェクトの話が持ち上がってきました。

 このドームは現在の東京ドーム約1.5倍の建築面積で、そのコンセプトは1つの大空間内にヤシの実やプールが存在する「亜熱帯」とスキー場を持つ「雪国」が仕切りなしで共存するという驚きのものでした。
 (尚、本件については当時の機密情報も多く、このコラムでは主に筆者が関与した建築環境解析という立場から差し支えなさそうな範囲でお話ししたいと思います。)

 亜熱帯と雪国では空間内温度が全く異なります。両者間に仕切りがないと両空間内の気流や温度は混合し、各々の施設要件を満たせません。かと言って仕切りを設けると「両エリアをお互いが見渡せる亜熱帯と雪国の共存」というコンセプト自体が揺らいでしまいます。そこで本プロジェクトではエアカーテンをベースにして空間分離案の検討を行いました。大手K設計事務所を中心として検討が始まりT建設がそのお手伝いをするというところから筆者らの参画が始まりましたが、本PROJには様々な有力ライバル企業も複数参加しており、その情報は時間と共に入り乱れました。

 本プロジェクトの成否ポイントのひとつは本当にエアカーテンで空間分離ができるか?ということでした。理屈上圧倒的能力を持つエアカーテンなら分離はできそうですが、あまりに大規模な装置では、建築空間計画への影響にとどまらず、騒音・振動、動力費等の別の新たな問題が生じてしまいます。そこで現実的範囲のエアカーテン能力を想定して数多くのCFDシミュレーションを行いました。そのシミュレ―ション結果の確認の意味も含め模型実験も行うことになりました。これは過去に例のない大実験となるため、W大のK教授、T大のM教授、K 教授のご指導を仰ぐことになりました。模型実験の実施体制や詳細計画・詳細見積もり書を作成しましたが予算は膨大なものとなり関係者を驚かせてしまいました。

 一方、本プロジェクトにおいてなにより重要な視点はコンセプトに見合った(収益が確保できる)大空間が構築できるかどうかでした。上記の空間分離はそのための一つの必要条件にすぎないとも言えます。

 一般観客・来場者には建物内であることを感じさせず、更に自然界(外界)の亜熱帯、雪国間を自由に往来するという異次元感覚を与えることが必要です。外界を感じさせるためにはトップライトによる自然採光の導入が必須です。本プロジェクトではこのトップライトの仕様や配置が計画上の大問題になりました。

 トップライトの大きさはどの程度必要か?場所は中央に集中1か所がよいのか、それとも複数に分散配置が良いのか?という検討です。このトップライトの仕様や配置によって空間内の景観的印象が大きく変わるだけでなく、これらは同時にドーム内の熱気流分布、雪質の維持、さらには空間分離計画にも大きく影響を与えます。

 本件ではこのトップライト問題に代表されるように様々な箇所で建築のデザイン(アート)とその性能(サイエンス)とのバランスが問題になりました。
(このことは本プロジェクトに限らず程度の差はあれ、すべての建築設計に共通ですが。)

 そこでアート担当の意匠・景観関係者とサイエンス担当の環境・設備関係者による協議が頻繁に行われました。このような立場や視点が異なる関係者間での議論は情報不足やそれによる理解不足によるすれ違いがたびたび起こります。

 そこで筆者は以下のような状況を想像しました。

 「関係者全員が空間内を自由にウォークスルーし、その後例えばスキー場のトップに行きそこから地上を見下ろす感覚(恐怖感)を仮想体感し、それをもとにスキー場の斜面角度設計を行い、その際の雪面や人体への日射の当たり方、気流の流れ、雪表面の温度等を再現しそれらを全員で確認する。そのようなことができれば関係者間の情報共有・合意形成が圧倒的にスムーズになる。こういうVRシステムの構築はどうだろう」と。。。

 そうこうしているうちに本プロジェクトを取り巻く状況が変化し、模型実験は立ち消えになり、その後本プロジェクト自体も中止(幻のプロジェクト)となってしまいました。 本プロジェクトの中止は大変残念でしたが、このプロジェクトを通してVRシステムについてはコンセプトを固めその後に活かせることが出来ました。

 その数年後T建設で本格的VRシステムを導入しましたがネーミングは「ハイブリッドビジョン」と名づけました。このハイブリッドは「アートとサイエンスのハイブリッド」を意味します。このVRシステムの導入経緯や成果についてはまた別稿で述べたいと思います。